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ドリアンのシンガク・ノート(キリスト教神学)

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聖書や教会に関するちょっとリクツっぽい話。見えない神がここで見えるはずなのに、違って見えているかも、というところが気がかり。
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2021年1月の記事一覧

召されている教会、立てられている働き人 ―神の召しと賜物が実現されること―

王様に謁見するのに、自分から行くことなどありえない。呼び出されたら、だ。それが、「召し」。私は、召されている? さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、(エペソ4章1節) そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。(エペソ4章11節) さてイエスは山に登り、みこころにかなった者たちを呼び寄せられたので、彼らはみもとにきた。そこで十二人をお立てにな

献身と賜物 ―キリストの召しに献身する教会―

兄弟たちよ。そういうわけで、神のあわれみによってあなたがたに勧める。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。(ローマ12:1) このところ、「召し」という言葉に少しばかりこだわりながら、色々と考えている。教会では「召される」という言葉がけっこう権威を持っているからだ。 この言葉には、主ご自身の権威が明確に現れている。今頃の世相では、非常に高位の方から「召される」という感覚は、まずないのではな

世界宣教に召されていること ―教会への召し―

兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。 (1コリント書1章26節) 伝道者の条件は何か?第一に挙げられるのは、おそらく「召し」。私も、その召しを確信したからこそ今の働きについたわけで、派遣の条件としても送り出す側が何を信じて派遣するかといえば、この「召し」だろう。 「召し」が具体的にどのように人に与えられるかといえば、たとえば旧約聖書の時代の預言者には、神が直

エクレシア ―活動する聖徒たち―

ペテロが「あなたは生ける神の子キリストです」と告白したことを受けて、父の啓示によってその告白にいたったのだ、とイエス・キリストは念を押した。その「告白者」には天国のかぎが授けられている、そういう教会を建てる、というキリストの言明を見た。 かぎを与えられていることを知った者は、それをどうするか。 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。

エクレシア―新約聖書の教会の活動―

新約聖書で「教会」という語がはじめて出るのが、マタイによる福音書16章。弟子たちが集められイエス・キリストに従い学ぶようになって3年程が経過している時点。 そこで、イエス・キリスト御自身が何者だと考えているのかを弟子たちに尋ねた。ペテロがそれに答えて、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と答えたことに対しての教え。 そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。わたしは、あな