『夜明けのすべて』をパニック障害の人が観るという〈難作業〉について考えてみた。

しばらく放置していたnoteだが、久々に書いてみたいテーマが見つかったのでページを開いた。それは『夜明けのすべて』。
なぜなら自分はこの病気(パニック障害)に四半世紀以上苦しめられ、一生付き合っていかなくては? と悩んだからだ。

やっかいな予期不安。
体がこわばった『キリング・フィールド』

「この映画に出会えてよかった」との感想を書いている人は、(おそらく)周りにそのようないたとしても自分自身は、まずパニック障害とは無縁なのではないか? この病気の恐ろしさは、一回起こったことが似たようなきっかけで甦り、またなるのでは?という「予期不安」にある。そう、パニック障害の人はこの映画には足を向けないからだ。この病気にかかった人は似たような環境に近づかないのが鉄則。つまりこの映画を観ることはかなりの危険を伴う。病気の特徴は「体と心の遊離」。自分の意思では手足や気持ちが自制できない恐怖に襲われるのだ。会議中、あるいは映画鑑賞中に叫び出してしまうのでは? 自分は頭が狂ったのではないか。ぼくなどは会議が終わると背中に汗ビッショリ。丸の内ピカデリーで行われた「キリング・フィールド』の試写では恐怖のあまり叫び出すのではないかと…。それ以来、自分はいつでも出られる通路側に席を取る。だがこれは心の問題ではない。

それは中央高速、笹子トンネルで起こった。
ウディ・アレンで自分を納得させる。

ぼくは20代の後半、中央道の笹子トンネルに加速して入った瞬間、突然、この症状に襲われた…。ハンドルを握る手が汗ばみ、脳の指令が心に届かない。暗いトンネルが永遠のように思えた。ようやくパーキングエリアまでたどり着いたものの、高速を降りるまで必死。以後、しばらくはトンネルが怖く高速も数えるほどしか乗っていない。自分は心が弱いのか? 会社では悟られまいと隠し通した。当時、鬱の人が会社にいたが「お前には分からない世界だよ」と笑われた。そう、80年代は偏見が凄かった。ウディ・アレンの映画には神経症の人がよく出てくる。都会の自称インテリ(笑)の悩みと思い込んでやり過ごした。

再発は大丈夫?
観るのが少し怖い『夜明けのすべて』。

病院で薬をもらいすぐ快癒...したかに見えたが二週目に再発。そう、与えられた薬がプラシボ(偽薬)だったのだ。以来、25年ほど苦しみは続いた。あるとき新聞の小さなコラムが目に入った。「不安神経症は心の病気ではなく脳の神経伝達回路の不全」。救われた。でもこのまま人生を終えたくないとドクターに相談。薬を半分に割って飲むことに。おっ、いける。しばらくしてさらに半分に。この話を聞いた歯科医が「それ、飲んでないのと同じ」。これが薬を止めるきっかけとなった。だがいまだに高速の運転は避けている。一般道路と違って信号がなく止まれないからだ。さてこの映画、そんな患者の苦しみが心底理解できてるだろうか? スタッフに一人でもパニック障害の方がいたらこの映画に携わることは地獄の苦しみとなったに違いない。いまでもぼくは観るのが少し怖い。

※当時はパニック障害という言葉はなく不安神経症と呼ばれtrいました。

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