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「はんの木緑地」とずっち(「ずっちのこと』後篇④)

写真は2005年4月末、寝室から撮ったものです。向こうの家がずっと遠くにあって、樹木が繁ってくると屋根しか見えなくなります。

以前、新しい部屋のすぐ裏手には「はんの木緑地」が広がっていると書きました。建物の背がブロック塀を挟んで緑地と接している格好です。ブロック塀から向こう側を覗くと、ここが崖っぷちで、5メートルくらい真下からさらに下がっていく形で、なだらかな緑地が広がっているのがわかります。「はんの木緑地」は緑の谷になっているのです。

緑地の真ん中を一本の遊歩道が通っています。ベビーカーを押している人や犬を散歩させている人が小さく見えるけれど、そこから道を逸れて、木々の下草を分けてまでこちらへ登ってくるような人はいません。ここならずっちは好きなだけ身を潜めることができます。

ただちょっと、ここから緑地に降りるには高さがあります。ブロック塀から飛び降りるのは危険にちがいありません。さいわいブロック塀の長い連なりを伝っていけば、段々と塀の高さが下がっていき、端の辺りで無理なく緑地に降りることができそうです。

ずっちは颯爽としてブロック塀を渡っていって、それからこの「野原」に身を浸して陽光と草の香りを堪能するだろう。

新しい土地で、それがわたしの期待したことでした。ずっちが毎朝出かけた後、ドアを閉めずにそっと身を乗り出して、息を殺し、ずっちがどこへ向かうか確かめます。

ずっちは裏へは回らず、門扉の下を潜り、正面の道路のやや端をトコトコ歩いていきます。そうでなければ、隣の庭にスッと入りこんでそのまま見えなくなってしまいます。正面の道路を進んで突き当たりを右へ折れてからどこへ行くのか、隣の庭からどこへ抜けるのか、わたしには知りえません。

一度隣の奥さんが、「ずっちが緑地にいるのを見た」と教えてくれたことがありましたが、わたし自身の目では、ずっちが「はんの木緑地」で過ごしている姿を見ることはできませんでした。

家の裏手に回ってブロック塀を伝っていくのが猫にとっては安全でしょうに。なぜずっちはわざわざ人や車とすれ違うことになる表の道路に出ていくのでしょう。長く連なるブロック塀は、猫が伝い歩きをするためにあるのだとさえ思っていたのですが。

以前にあんなに「野原」に入り浸っていたずっちが、この極上の緑地に降りようとしないのは、ここがずっちにとってなんらかの危険が隠れている場所だということなのかもしれません。道路のほうが安全だと判断するほどに。

ともかく、ずっちには別に向かう場所があったようです。それをわたしは突き止めようとしなかった。ずっちの後をこっそり付けていくような行動は慎むようになりました。ずっちはデュアルライフができる猫です。秘密の快適な場所を勝手に見つけるわけです。わたしはずっちがどこで何をしているかわからないし、もうそれでいいと思うようになっていました。


(当時はせっかくの「野原」にずっちが憩わないのを残念に思う気持ちがありました。のんびりした日常だったと言わざるをえないでしょう。今ではウイルスに感染することを心配しなくてはならないし、外へ出すことを咎める人の目も気になるでしょう。また、人と同じように猫に対しても外出自粛が「要請」されるとなれば、わたしはどれほど追い詰められたことでしょう。理由がなんであれ、自由以上に大事なものを知らないずっちを、「行動変容」させ閉じ込めておくことなど、わたしには到底できなかったでしょうから。)




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