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私たちの結婚を支えたもの

先日、新しい本棚を買った。
本棚に入りきれない本が床に積み上げられていたので、夫の部屋に大きな可動式の二段本棚(?)を買ったのだ。これで我が家の本棚は13台になった。まだ足りないので、近々14台目がやってきそうだけど。

早速、組み立てて二人で本の整理をする。

「村上春樹は凛子さんのほうが好きだろ?凛子さんの部屋にもっていく?」
「そうする。貴志祐介さんも私がもらおうかな」

「この本はどこにする?」とか「この本、ここに置いておくね」という会話はだんだんと本の思い出話に変わっていく。

「これ、面白かったな」
「うんうん。これが今のところ、この人の最高傑作だと思う」
「僕は〇〇のほうが好きだな」
「あれも名作よね。そう言えば、買ったとき『どっちが先に読む?』って譲り合ったね」

私たち夫婦にとって本は写真と同じ。記憶であり思い出なのだ。

夫と結婚して20年になる。
それは私が専業主婦になって20年ということでもある。
私の略歴は「大学を卒業して銀行に五年勤めて結婚を機に退職。以後、専業主婦」だ。
実は、結婚するとき仕事を続けるか否か、すごく悩んだ。
でも専業主婦になりたかったので、夫に正直に打ち明けた。

「やめてもいいよ。贅沢はさせてあげられないかもしれないけど、生活に困ることはないように、僕はしっかり働いて凛子さんを守るから」

プロポーズ以上に嬉しい言葉だった。

「仕事をやめてもいい」と言われたことにではない。
その言葉の先に、彼の頼もしさと強さを感じたからだ。
「この人となら大丈夫」と安心した。

20年間、夫のこの頼もしさと強さにどれだけ助けられたかしれない。
私たちの結婚を支えたものの一つは、夫の強さだと思う。

娘が小学生になるころ、勤めていた銀行から仕事復帰の話をいただいた。
悩んだ。復帰の最後のチャンスだと思ったからだ。
でも、娘に相談したら、娘は私に家にいてほしいと言う。

そのとき、自分が全く同じことを母に言ったことを思い出した。
娘よりちょっと大きい、小学三年生のときだったと思う。
父が転職をするのを機に専業主婦だった母が働くことになり、母にきかれたのだ。

「学校から帰ってきたときにママがいないけど、晩ご飯のときにママがいるのと、学校から帰ってきたらママはいるけれど、晩ご飯のときにママがいないのだったらどっちがいい?」

前者は一般企業、後者は塾の仕事だろう。
私は「両方いや。ママは家にいてほしい」と答えた。
本当に嫌だったのだ。寂しかった。

母に怒られた。

「働かなあかんの!働かないと生きていけへんの。わがまま言わんといて!」

結局、母は塾の仕事を選んだ。

母の態度はお世辞にも褒められたものではない。
専業主婦が主流だったあの時代、私の反応は当然だと思うし、子供の私が納得できるよう母は丁寧に言葉を重ねるべきだったと思う。
でも、今はあのとき声を荒げた母がどれだけ辛かったかと思うと胸が痛い。
子供だったとはいえ、いたずらに母を傷つけた。
「一緒にいたい」それは母も同じ気持ちだったこと。今の私なら、同じ母としてよくわかるのだ。

誤解のないよう書いておくが、私は「働くのがいい」とか「専業主婦がいい」とか言ってるのではない。
大事なことは「選択できる」ということだ。
「働く」選択しかなかった母と、「働く」「働かない」という二つの選択がある私とでは、同じ「働く」でも大きく違う。

夫に相談した。
夫は「凛子さんの好きにしたらいいよ。どちらでも協力するから」と言う。
それでも悩む私に「何故、職場に戻りたいの?」と問われた。

そう言われて、私は改めて考えた。
戻りたい?
いや、むしろ私は戻りたくない。
金銭的には何も困ってないし、そもそも私が十年働いても夫の一年分の年収にもならない。

それでも、私が悩むのは「社会の一員として、人は働かなくてはいけない」と考えていたからだろう。

そう答えると、夫は間髪いれず否定した。

「あなたは社会の一員として、すでに働いている」

そして「働いていないと考えるのはやめなさい。主婦業は重要な仕事だ」と注意された。
今、専業主婦をしている方々や、今まで専業主婦として生きてきた女性に対して失礼だとも言われた。
すみません。暴言でした。

でも、そのときの私は納得できなかった。

「私は自分がやってることが仕事とは思えない」

これは、私だけでなく多くの方が抱いている考えじゃないだろうか。
でも夫は首をふる。

「主婦業は仕事だと僕は思う」
「でも一円にもならない」
「僕が思いっきり外で働けるのは、凛子さんが家のことを守ってくれているからだ。それは二人で働いていることにならないか?家に入ってくるお金は僕と凛子さんの二人で稼いだものだ。少なくとも僕はそう思ってる」

時代が違う。もうその考えは古いと言う私に夫は「シャドウワーク」という言葉を教えてくれた。
主婦業は「シャドウワーク」というのだそうな。

「確かに具体的に給与で数字が出ないから自覚するのは難しいのかもしれない。人はどうしても金銭的な価値に縛られてしまうからね。でもシャドウワークは社会でとても重要だ」

こういうことが言える夫は強い人だと思う。

社会がこうだから、世間がこうだから、ではない。
夫は社会に寄り添いながらも、流されることなく「僕はこう考える、こう思う」と自分の考えを明確に言葉にできる人だ。
私もそういう人でありたい。

専業主婦という言葉は、これから消えていくかもしれない。
でも私はどのような時代になっても、堂々と「私は専業主婦です」と言いたい。
そして、私たちの結婚を支えたものの一つとして「主婦」という仕事を誇りにしたい。