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自己肯定という言葉

こんばんは、だぴてぃです。

自己肯定って言葉を「気持ち悪い」ってきっぱり言ってくれる人がいた。そう、イチローさん。

この言葉が一人歩きし出したのって、セルフコンパッションやセルフケアなどの「内なる自分」に目を向けたアクションが流行り出してからだと思う。確かに目を向けることは大事だけど、間違ってはいけないのが嫌なことからも目を逸らさないってことで。

自己肯定っていうのは、全部自分ごととして捉えることが大事。うまくいかない自分を認めるってのは、違和感がある。これをメディアで大々的に表現してくれたのはイチローさんが初めてなんじゃないかな?

すごくスッキリした。やっぱり嫌なことも逃げずに立ち向かっていかないと、人としての厚みというか深さが出てこないなと。そこを経験して、乗り越えてこそ、発する言葉に熱量を付加できるんじゃないかと思っている。

根性論のようにも聞こえるけど、ある種それでもいいんじゃないか。時代錯誤かも知れない。今の若い人たちには相入れない感覚かも知れない。でも言葉、表現が違うだけで、どの時代もそんなに変わらないんじゃないかとも思う。

自己肯定して得られるものは?

幸福感や失敗から立ち直る力が手に入るのだろうか。

自己肯定をしてみて僕が得られたものは何もないように感じる。むしろ「これでいいのか?」という焦燥感があった。科学的には自己肯定をすることはメンタルの安定に良いとされているが、この手のTipsはうまく扱わないといけない。万人に合うわけではないからだ。

やってもみないうちから否定するのは良くないが、少なくても試して、それが自分に合わないものだった時、無理に意地になって継続しない方がいい。根本から間違っている可能性すらある。

とどのつまり、自己肯定をするということは、快適に生きるための術だと思う。逆説的だが、快適に生きるためのメンタルハックを使うなら、自己肯定にこだわる必要はない。ある人は自分を思う存分責めたあとに改善点を考えることで立ち直るかも知れない、ある人はそもそも何も考えないようにする方がいいかも知れない。

このように十人十色でいいんだと考えている。

以前僕の部下がメンタルを病んでしまった時、ゴールデンスタンダード的な回答はあったと思う。でも、僕はそれを選ばなかった。なぜなら、自分自身もメンタルを病んだときにかけてもらった言葉が逆効果だったから。その当時はそれが正解だと思われていた。でも僕には反対に作用した。

だから本人をよく知っているのだから、上辺だけの言葉にしないようにしよう、そう考えた。

結果的に良くなったかどうかはわからない。でもしっかりと復帰して、それから元気にやっているところを見ると、きっと間違いではなかったのかなと。

発する前に俯瞰してみよう

科学だなんだと持ち出して使ってみること自体は否定しないが、脳停止で使用するのはちょっと危うさを感じる。それと一緒で、自分の常識は他人の非常識という言葉があるように、立場・環境が違えば、考えていることなんて違ってきて当然。押し付けるような言い方、マウントの取り方は相手を傷つけるかも知れない。

「これはちょっとセンシティブかな」と感じたらまずは一度立ち止まってみる。コトバを発する前に、SNSにポストする前に、一度「これは人を切り刻むコトバではないか?」と自問してみる。

今のSNS時代において、こういう思考は大切になってくると感じる。

他人のフリ見て我がフリなおせではないが、よくないものを目にした時こそ自戒を込めて思考を張り巡らせたい。

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