不自由が自由を生む
この違いはなんだろうか?と考えたとき、答えは「初動の早さ」でした。動き出しまでの時間がどれだけ早いか?ということで、noteなら「いかに早く脳内からワードを純粋なままアウトプットできるか?」ということになります。
スマホでええやんって思うかもしれません。
ただスマホって「遅い」んですよ。パッと手に取って入力開始までは早いのは確か。
でも、余計な思考が生まれやすい。興味をそそるアイコン、チェックしなければいけないと思わせるメーラー、ついつい世の中の動きが気になってしまってみてしまうSNSやニュース。
どれも「ワードを純粋なまま」脳内から取り出すことはできません。興味が持って行かれている時点でアウト。もはやそのワードには泥がついた状態。
これを防ぐにはとにかくストレートに書き出しまでにつなげなければいけない。そこでポメラみたいな「ネットにつながらないし、開いたらもうそこはエディタの世界」というデバイスがもってこいなんです。
別にこれはポメラでなくちゃいけないというお話ではありません。スマホでもロック画面からダイレクトにメモ帳などにつなげられる機能があります。それでもいいわけです。
ただ、もっと工夫が欲しいなと思ってしまいました。何が人間の脳を刺激しているのか?そう、色です。カラフルな色彩が目に飛び込んでくると、どうやらイメージをはじめるっぽい。
だったらモノクロにしてしまえばいい。
思い返してみたら、ポメラもモノクロだし、集中して読書するために使っているKindleもモノクロ。現代は何かとカラーリングが重視されますが、そこをあえて白黒にするという「ちょっと不自由」を加えるというアレンジをするだけで、驚くほど脳内から純粋なままワードを取り出すことができるみたいで。
これ、ここ最近の意外な発見のひとつ。
いや、もしかしたら僕だけかもしれませんが、こうして毎日noteで発信や思考整理のための言語化、文章化をしている人間にとっては、ものすごく重要なことなんですよね。
なんでも便利になりすぎている世の中です。オールインワンの機能を持つものが重宝される時代。でも、メリットデメリットはありながら、それぞれが得意分野ではいい味を出す存在ってのも、なんでも便利になりすぎたからこそ価値を見いだせてきているのではないかと、ちょっと哲学的になっています。
そういう意味ではミニマリストまでいかなくても、あえて不自由になる部分はありつつ、自分の中での満点ではなくを及第点をめざすスタイルもそう悪くはないのかなと思い始めています。持ち物にしたって、文章にしたって、リーダーとしてのスタンスだって。
完璧なものなんて、この世の中にありません。
受け手によって解釈は変わります。
それこそ「絶対的にすごい」なんてのは大谷翔平選手みたく、圧倒的な結果を残したときくらいでしょう。それ以外は評価なんてものはグラデーションになります。
だったらその微妙な差というのは全部、自分次第ともいえます。解釈次第では使えるかもしれない。普段は絶対に選ばない選択肢でも、角度を変え、視座を変えて見てみれば、そう悪い選択肢でもないかもしれない。
結果なんてのものは、本当に「ちょっとした」ことで変わるものです。
目に見えてわかるキッカケじゃなくても、ちょっとした一言だったり、経験をしただけで爆発的に変わることもあると、これまでの人生経験の中でいくつかありました。良くも悪くも、です。
所詮ぜんぶ「固定観念」がつきまとうものだと思います。それは人間である以上、絶対にそうなるはずです。そこをできるだけ柔らかく、定点カメラではなく、多視点カメラで捉えていくことが、「よりよいもの」を作り上げていくのだと思います。
……
MacBookを最近まともに開いていないなってところから、ここまで思考が発展できたのも、この文章を書く間に不純物をいれなかったからだと思います。途中でちょっとでもSNSやほかの刺激を入れていたら、きっともっと短絡的な思考になっていたと感じます。
ということで、自分の感覚は大事にしましょう。
あえて不自由になることも、時として必要なことです。
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