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記憶

大した取引先じゃなかった。それでも真面目に足を運んだのは、取引先への道すがら、隠れ家のようにひっそりと佇む小さな寿司屋に魅せられたから。


そう、すっかり魅せられちゃったんだ。



山陰の地方都市、鳥取の駅前もご多分に漏れず、こじんまりとしたア-ケ-ド商店街にはチェ-ンの飲食店や個人商店が軒を連ねる。もう20年も前、私はその中の一軒に仕事で通っていた。と言っても、ア-ケ-ドは車の乗り入れが禁止で、取引先へ行くには4~500m 離れた有料駐車場を利用し、徒歩で移動するしかなかった。



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それまでは取引先に行くためだけに、ただ漫然と歩く商店街だった。だけどある日、私の目に留まるものがあった。間口の狭い小さな寿司屋の引き戸に張られた、「日替り弁当 680円」不愛想な手書きの張り紙だ。お世辞にも達筆とは言えないけど、遅れ遅れの昼食前、この張り紙の何と魅惑的に思えたことか。


おいおい、寿司屋の弁当って・・・。



ふらふらと誘われるように入れば、10席に満たないカウンタ-だけの店。昼時のお品書きは「日替わり弁当」か「鉄火丼」の二者択一だ。迷わず弁当を注文し、待つこと数分。目の前に出されたのは、白飯とおかずだけのおよ
そ寿司屋らしからぬ弁当だった。だけどその内容は、煮物、揚げ物、焼き物、なま物と少量づつではあるがとてもバランスがいい。しかも温かいものは温かく、冷たいものは冷たくと、手作りを絵に描いたような心配りと色鮮やかな盛り付けの妙。味はさらにその上。の、もういっちょう上。


もう、とりこだよ。とりこ。



通い始めて半年ほど経ったころだろうか。季節は冬を迎え、鉛色の雲が街を覆いつくすほどに重く垂れこめていた。剃刀の刃のような北風に行きかう人は顔を伏せ、肩をすぼめて足早に行きすぎる。取引先を早々に辞した私は、寿司屋に駆け込むや「いつもの」と頼み席に着いた。しばらくして出された弁当には、どうした訳か汁椀も付いいる。「?」カウンタ-の中の大将を窺うと、「冬場は毎年おまけで出しとるんよ」と言う。さいの目に切った具材が山ほど入った、熱々の粕汁だ。

「ふ-、ふ-、あつっ!!」

「そんなに慌てんでもええがな。ゆっく食べようや」


黙ってうなづいたけど、箸が止まらんのよ。



だがそれも続かなかった。ある日食事に寄ると、店頭には「休みます」の張り紙。それは本当に突然のことで、何があったのか私にはわからない。私生活について知ることは何もなかった。それからも「今日はやってるんじゃないか」「今日は弁当を食べられるんじゃないか」と通うのだが、その後、寿司屋が営業を再開することはなかった。


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時は流れて・・・



下手の横好きながら日ごろから台所に立つ私は、冬場、新粕が手に入ると粕汁を作る。具材をさいの目に切り、大将の味を思い出しながら粕を溶き、味噌を溶く。もちろん大将の粕汁には遠く及ばないし、私の力作を食べるつれ
合いも気のない顔をしている。だが、いいのだ。私用の粕汁はひと味違う。



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「記憶」という隠し味が効いてるからさ。



終わり


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