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40代ミドル女の腱板断裂手術入院記②

手術がはじまるまでの風景


 いよいよ手術の日となった。
 関節鏡下手術なのでメスで切開するよりはずっと負担の少ないけれども、肩に何カ所か穴は開くし、全身麻酔だし、やっぱり怖い。一方で「これで激しい痛みから幾分解放されるのかも」という期待があった。そわそわした浅井眠りのまま当日の朝を迎えた。
 言いつけどおりにスキンケアは我慢し、洗顔、歯磨き、髪にブラシをかけるなど最低限の身だしなみをしておく。7:30までにお水を少し飲んでおく。麻酔が覚めてからも4時間は病床から起き上がれない“絶対安静”となるため、しつこいくらいトイレに行っておく。

 看護師さんが血圧・体温・心拍などを測定に来た。それをきっかけに中はショーツ一枚という手術着に着替え、血栓防止用のきつい着圧靴下を懸命に履く。「じゃあ、行きましょうか」と看護師さんの誘導で手術室まで夫と下の息子と歩く。ママがんばってと手を振る二人を残しドアの中へ入る。
 確認で何度か名前や生年月日を言いながら、数名のスタッフに迎えられて奥へ進むと、手術台が置かれた手術室に着いた。主治医や麻酔科医がてきぱきと準備をしているのが見えた。肩の手術は、麻酔で眠った後に身体を起こし座った体勢で行なうので、手術台も見たことのない形のものだった。そのことに少し緊張が増したが、考える間もなく術着を脱ぐことを促され、そのまま台に仰向けに寝そべる。
 麻酔吸引用のマスクをつけられ、「じゃあ、手術を始めていきますからね」とスタッフや主治医から明るく声がかかり、「すぐに眠くなりますよ」と麻酔科医の穏やかな声が頭の向こうから聞こえ、その3秒後からの記憶は、ない。

麻酔から目が覚めて

 「〇〇さーん、終わりましたよ!」「終わりましたよ、目を開けることはできますか?」と遠くから数人の声が聞こえてきて、うっすらと目を開けた。すると「はい、だいじょうぶね? わかりますね?」と言われたとたんに喉から何かが出ていくのを感じた。ああ、呼吸器の挿管が外れたんだな、とわかる。しかしまたすぐに目を閉じてしまったようで、ベッドのまま病室に運ばれた間の記憶がすっぽり抜け落ちている。

 次に記憶が戻ったのは、夫や息子の声が聞こえたとき。目を開けると覗き込むように二人が見ていた。「よかった、終わったよ」。そうか、終わったんだっけ。と自覚すると同時に激しい喉の渇きや違和感が襲ってきた。帝王切開で出産した時の体験とは少し違っていた。考えれば当然なのだが。あれから10年近く経っているし、立派な“アラフィフ”だし。看護師さんに口をゆすがせてもらい、そのあとお水も飲ませてもらった。けれども焼けつくような喉のイガイガ感は、なかなか消えなかった。
 少しずつ意識が明瞭になってきて自分の様子を見渡すと、手術をした右肩は何やらガッチリと固定されていて(包帯でぐるぐる巻きだとのちにわかる)、黒い装具がつけられ腕を吊った状態になっている。その裸の状態に術着が掛け布のようにかけられ、腰まで布団もかけられていた。使えるはずの左腕には点滴が刺さり、親指には血圧計が挟まれている。他にも胸あたりから数本のコードがつながっているが、それは心電図計につながっていた。鼻と口には酸素マスクをつけられ、さらに両脚には、血栓予防のためのフットポンプが取りつけられ、ブーン、ブーン、と奇妙な音を立てて収縮を繰り返している。

 おっと。これは思ったよりずっと不自由だな…。
 最低でも術後4時間はフットポンプをつけたままでベッドに寝たきりだと説明は受けていただが、こうもいろいろな管につながれているのでは、まるで縛りつけの刑のようだと、頭の中で思っていた。ほとんど身動きなんてとれないのだ。
 「食事は夜からの予定だったけれど、先生が食べさせてあげてというから、お昼から食事出ますからね~」と、一時間ごとに血圧と体温を測りにきてくれる看護師さんが笑顔でそう告げてくれたが、この状態でどうやって食べるんだろう??と正直なところ心配になった。

 この時間帯の記憶は断続的で、大袈裟に言っても、手術が無事に終わってよかったとか、ホッとしたとか、うれしいとか、そういった類の感情を働かせることは難しかった。全身麻酔から生きて戻ったんだなとは考えたが、よぎったのはそれくらいだ。
 もしかすると人間は、身体の何かの事情にエネルギーの大部分を注がなくてはならない状況では、感情というものが薄くなるのかもしれない。意識を保つ代わりに、感情の働きを弱めて省エネにしているのかもしれない。
 思考ももっぱら近視眼的になり、目の届く自分の身体のあちこちのことや、目の前の家族の動向には考えが向くけれど、たとえば休んでいる仕事のこととか、今後の生活のことはもとより、その日の夜のことにすら考えが及ばなかった。
 無論、この体験が人生においてどんな意味を持つことになるだろうとか、そもそも自分は何者なのだろうとか、そういった哲学的な問いに思いを巡らせることもさっぱりない一日となった。

 次回は、術後初めての食事から、当日の夜の過ごし方のお話を…。
  

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