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私の自立~ No.3 Naoko Hall 様

基礎情報

現在の職業: Gabby Communications International, Inc. 最高事業責任者(Chief Operating Officer)


2児の母として子育てに奮闘しながら、カナダで日本人向け英会話スキルの向上に貢献し、国境を越えた舞台で活躍できる人を増やしたいという願いから、脳科学に沿って開発した英会話スキル「Gabby メソッド」を活用した
トレーニングツールを提供しています。カナダ・バンクーバーでは英語を教える有識者な人材が豊富で、カナダ人のコーチ陣と共に日本人のスピーキング力向上をサポートしています。(2019年12月15日インタビュー時点)
詳しくはこちらhttps://jp.gabbyacademy.com/company/


私の自立を感じた瞬間

「学内転職をさせてください。」
 当時勤めていた九州大学で自分のやりたいことを実現するために、上司を納得させた瞬間。自ら一歩を踏み出す根拠を示すために日々研鑽し、周囲の賛同を得るために担当外の仕事も率先して受け入れました。
 日々の信頼を勝ち取っていく過程の中で、「自分はできる」と大きな自信に繋がった経験でした。

私の自立ー 過去の振り返り
1.学生時代からの悩み:素直な私

 小学生の頃から、読書が大好きで時間さえあれば読書をしていました。学校の休み時間も友達と遊ぶよりも読書を優先していたため、先生や親から社交性がないと責められ、「私は人と仲良くすることができないかも。」と自分は劣っているという認識を持つようになりました。中学生になり学習塾に通い始め、成績が良いと塾の先生に褒めてもらえることが自信に繋がり、友達とも徐々に積極的に話せるようになりました。
 大学受験の時、動物好きもあり獣医を目指しましたが、惜しくも叶わず農学部に入学しました。獣医になれなかったことに立ち直ることができずに
4 年間が過ぎ就職活動を迎えますが、バブル崩壊以降、父親の事業が苦しい時代背景もあり、母親より常日頃から言われていた「安定の公務員になりなさい。女性も手に職をつけ、率先して働かないとだめだ。」との言葉に従い、国家公務員となり九州大学農学部の技官として働き始めました。


2.どう克服したか?:新しい働く機会を創出した私

 働く大学で知り合った男性と結婚し、第一子を妊娠した時のこと、職場の方々から「今までの教えが全て無駄になったじゃないか。」と怒られ、早くに復帰するとの約束の元、産休5 か月で復帰しました。子供が生まれる前と同様に働けないことに対し役立たずな扱いを受けるようになりました。そのような状況の中で、「ほかの人にはできない、自分が活躍できる場を作ろう」と決意し、他の学部との共同研究や県の獣医さんとの共同臨床研究のために動き始めました。新しい取り組みに対し非難する人もいましたが、その中で新しい人脈もでき、大学という大きな市場を再確認するきっかけになりました。大学のより大きい舞台で仕事をしてみたいと思うようになり、運営側に回る努力を始めました。このきっかけになったのは、プライベートの出来事も重なっており、実は離婚を経験してシングルマザーとなり、一人で娘を育てなくてはいけない状況を迎えました。これからは英語が必須になると確信し、猛勉強を始め、国際交流を担当する部署への異動を叶えました。


3.夢を自覚した動機 :カリフォルニアの私

 九州大学のカリフォルニアオフィスに転勤になり、約2 年間九州大学からの短期留学生をサポートする経験をしました。 1 か月間の留学プログラムを企画、実施を行う仕事を通して、学生の心の成長を間近で感じることができました。この時の経験を通じ、人の成長を目の当たりにする喜びを覚え、成長する機会を作り続けたいと強く思い、これが「私の本当にやりたいことだ」と自覚した瞬間でした。

私の自立ー 夢や目標に向かう為に
1.取り組んだこと:目標に努力する私

 九州大学のカリフォルニアオフィスに在籍していた時、人脈作りのため多くのイベントに参加し続けました。シリコンバレーでのイベントで挨拶をする際に自身のキャリアデザインの薄さを痛感しました。実は自己紹介ができなかったのです。どこの所属かは答えられますが、相手が求めている「貴方自身が何を目指していて、今何をしているのか?」には答えられなかったのです。これは私を見つめ直す大きなきっかけとなりました。落ち込む期間もありましたが、サンノゼの青い空に救われたことを覚えています。「自分より年下の子たちがシリコンバレーで目標のために今やることは何か?できることは何か?と自問しながら努力しているのだから、私も必ずできる!」と言い聞かせて前を向いていました。
 私自身がカリフォルニアでの経験を通し、日本人をもっと世界に羽ばたかせてあげたいと目標ができ、そのためにはどうしたら?何を提供したらいいんだろう?と悩んでいたところに今のGabbyに繋がる出会いがありました。株式会社グローバルビジョンテクノロジーの会長にお会いし会話する中で、日本人は高い技術力があるのに海外の競争力に負けている原因は英語力であると結論し、英語力向上を以て日本人の飛躍をサポートするためカナダのバンクーバーに会社を設立する運びとなり、最高事業責任者として就任しました。
 初めは、この話を引き受けるかすごく悩みました。2 児の母であること、再婚の夫の収入が不安定で、今まで通り公務員を続けた方が安心かもしれないと考えましたが、「人生一度っきり!挑戦してもいいよね!」という個人の願望と、子供たちがカリフォルニア生活で生き生きと成長し、本人たちも北米に住むことを希望したこと、そして何より「やりたい、達成したい目標を定めたら、どうしたら実現できるか考え行動を起こしてチャンスを掴んできた」という今までの経験の自負が後押しし、バンクーバーで会社を持つことを選択しました。


2.私の充実感は何か?:賛同者を支える私

 九州大学での技官の仕事から始まり、自らが望み、他学部や産学連携などコーディネーターとしてプロジェクトをまとめ上げる仕事を通じて、在籍していた大学の人脈の広さを知り、より外部との連携によるビジネスチャンスを掴み、関わった学生の成長を目の当たりにできる喜び、これは私が素直に嬉しく感じることを追求した努力の結果です。自分が考え、決めて動いたことが形になっていったり、賛同者が共に動いたり、関わった人がそれぞれの夢に向かって前進した瞬間、私は強く充実感を覚えます。

私の自立ー 継続する努力
1.心の努力:与える私

 子育てについては葛藤するところがあります。九州大学で国際交流の仕事をしていた時から、出張が山の様にあります。子供にさみしい思いをさせてしまっていると心苦しくなることも多いです。何か問題が起きると、「ああ、私がいわゆる普通のお母さんとは違う生き方をしているから、ここに歪みが出てしまったかな。」と責める場面も多々あります。また、私自身のキャリアデザインが前面に出すぎて、再婚の夫に何もさせてあげられてない、常に我慢させていたのではないかと今でも引きずっているところはあります。ただ、私の信念として、どんなに論理的に儲かるビジネスがあり、い
かに優秀な人が引っ張っていようとも、顔も見えないビジネスのサービスを買ったり、支援しようと思う人はいないと思っています。インターネットを介したビデオ会議ができるようになったとは言え、対面で話すために出張し、活動的に行動することは正しいと思っています。まずは人に直接与えることが大事ですので、どんなにお金にならないと思っても来る仕事は断らないというポリシーは貫き通しています。


2.これからの私:やり切る私

 自分の立ち位置を決め、決めたことには責任もってやり抜くしかない。家族への責任も会社での責任もどちらも持つわけですので、ここで辞めるわけにはいきません。決めたことはやり通します。


私の自立ー 最後に応援メッセージ:いつでも走り出せる私

 いろんな考え方があれど、子供を2 人産んだことを全く後悔していません。もちろん、子育ては大変でスムーズに進まないこともありますが、大きくなれば人生のパートナーとなる喜びも得られます。子供を産んだ後に走り出すこともできます。私は 30 歳くらいで英語をはじめ、 40 歳で起業を決めましたし、何事も始めるに遅いということはないと思います。人生一度きりです。思いっきり挑戦する人生を歩んで欲しいです。

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