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私の自立~ No.7 岩名地 舞 様

基礎情報

現在の職業:株式会社 LOOL 代表取締役社長


環境が変わっても自分がどうありたいかが大事。
自身の過去の経験から、キャリアを形成し始めた
20 代が真摯に自分と向き合い、自分を振り返る分岐点となる存在になりたいという思いから人材紹介会社を設立。
成長志向の若手ビジネスパーソンと厳選成長企業のマッチングサービスを提供しています。(2020年6月17日インタビュー時点)

詳しくはこちらhttps://www.loolmc.com/


私の自立を感じた瞬間


「仕事を軌道に乗せ、子育てとのバランスが取れたと感じた時、私はやっていけると思いました。」
フリーランスになって3 か月後、仕事の見通し立てやルーティンが確立でき始め、育児へも同じように時間を注げるようになった時、ビジネスパーソンとしての自分と母親としての自分のバランスが取れるようになったと自信がつき、自立した生き方への手ごたえを感じました。


私の自立ー 過去の振り返り
1.学生時代からの悩み:スキルを磨き続ける私

 教師であった両親の元で兄と弟を持つ長女として生まれ、小学校から高校までバスケットボールに打ち込む学生時代を過ごしました。幼い頃から、世間で言われる「普通」に疑問を持ち、常識 や概念を壊したい思いを抱えていました。家族が地元で比較的名が知られていることで「○○さんの娘さんね。」という形で自分の存在を認識されていたことや俗に言う社会への反抗心を抱えつつも、大好きなバスケットボールの 技を磨くことに楽しみを覚え、夢中になっていました。厳しい顧問の元でマナーや上下関係など社会性に関する側面においても徹底的に学びながら技術を向上させ続け、努力や根性が行動として形に残った経験として、高校の引退試合の前に全治一年程かかるケガをしてしまったにも関わらず 3 か月で完治させ、スタメンで試合に出場したことがあります。

 簡単に夢を諦めない粘り強さで、最後までやれることをやり切ったこの経験は私の今の基盤です。


2.どう克服したか?:自分の価値を自覚した私

 高校卒業後の進路について、漠然と大学に行きたいとは思っていましたが、特にやりたいこともなく、結果的 に専門学校へ進学し、その後の就職活動も、当時は自分の将来のプランを描くことが出来ず、母親が好きだった旅行に携わるような旅行関係企業の事務職の仕事を選択しました。今振り返れば、他の進路選択をもっとよく考えれば良かったと反省しますが 、これは私のやりたいことではないと気づいたの は就職後でした。
 仕事量が多いわりに安い月給だった為、アルバイトを掛け持ちして生活していくうちに、与えられた仕事をこなすのではなく、結果が目に見える形で分かり、達成に向けて挑戦できる仕事がしてみたいと思うようになり、転職を決意しました。バスケットボールをやっていた時の、競争によって切磋琢磨していく感覚を欲していたんでしょうね。もちろん、当時両親からは転職を反対されましたが、「自分で選んだことだから」と意思を曲げずに遂行しました。この出来事が親の価値観から離れ、自己の価値観が確立し始めた起点だと思います。


私の自立ー 夢や目標に向かう為に
1.取り組んだこと:自己覚醒する私

 2社目への転職は大きな起点となり、人生の分岐点を自身で作り出せることを体感した経験です。 2 社目は不動産営業として結果にこだわり仕事をしましたが、その中で新たに見えるものがありました。それは、もっと人に寄り添って社会貢献がしたいという思いです。転職をした理由に於いて、外部要因のせいにして嫌なことから逃げるように転職した側面もあるのかもしれないと気づきました。転職後、成績が思うように伸びなかった時期に他責で物事を考えてしまったこともあります。確かに人は環境を変えれば変わると思いますが、それだけではなく、自分の在り方や考え方、物事の捉え方を変えない限り、環境を変えても悩みはつきません。そう考えた時、私は転職を経験し自分で人生を変えたこと、他責にしてしまった失敗経験があることによって相手の転職活動に理解しながら寄り添い、支えられるかもしれないと思うようになりました。
 その後リクルートへ転職し、人材紹介事業でスキルを磨いていくことを決めました。在籍中、子供を授かりましたが、正直自分の描いていたキャリアが終わってしまうのではないかと不安でいっぱいでした。産休中、初めて社会との接点が切れた時、自分には何が残っているか?どうしたらいいか将来像を描けなくなってしまいました。当時の夫が独立して楽しんで仕事をしていることへの羨望やうまく今後の自分の生き方を描けない焦りから産後鬱のような状態が 4 か月ほど続き、精神的に安定するための自立や今後に備え経済的に自立する必要性を切に感じました。始めは、リクルート時代に培った人脈を元にベンチャー企業へ就職しようかと考えましたが、フルタイムで働くことで育児との両立にリスクが生じる可能性を危惧し、自分で時間を調整しながら働くため に独立して人材事業で個人のキャリアアドバイスや法人向けの面接代行、人材紹介事業部立ち上げの外部アドバイザーとして働くことを決断しました。

また、私のチャレンジ精神が「人生一度は会社名ではなく、岩名地という名前で食べていきたい」思いを鼓舞し、独立を決断しました。 現在は、個々にフリーランスで人材紹介事業をしていた同志と株式会社を立ち上げ、従業員 3 名と共に事業拡大を図っています。出産を通して自立に向けた生き方がいかに人生を豊かにするかに気づいた私ができることは、次の世代が自信を持って在りたい自分を探求できるお手伝いをすることです。


2.私の充実感は何か?:熱中する機会を提供する私

 大人になると何かに夢中になることが減ってしまう人が多く見受けられますが、何かに熱中することは素晴らしいことだと思っています。特に、学生時代に何かに打ち込んできた人は、社会人になってから打ち込むものがないギャップに悩んでいる人が多いように感じます。私は自身を介してクライアントやメンバーが夢中になって何かに取り組んでいる姿を見ることが大きな喜びです。ご支援したタイミングで「○○ができました!」といったフィードバックや「○○目指して今この会社で一生懸命頑張っています!」といった声を聞く瞬間が夢中になる機会を提供できたと充実感を覚える瞬間です。


私の自立ー 継続する努力
1.心の努力:現実を受け入れる私

 コロナウイルスの流行による影響も然りですが、人生は良いことばかりではなく、思うようにいかないことはたくさんあります。人が落ち込む瞬間は現実と理想のギャップに出くわした時だと思います。どんな時も、まずは現実を受け入れるように努力しています。現状を理解することで次のプランが立てられ、実行に移すことができます。また、常に自身を客観視するように意識しています。当事者ではあるけれど、あえて自分という人生の物語を読んでいるような感覚です。そうすることで、悲観しすぎることを防ぎます。現実を受け入れる強さは、子供を授かってから特に鍛えられたのではないでしょうか。


2.これからの私:特定の情報源を決め、インプットし続ける私

 これからは人材の流動もさらに活発になりますが、そこでクライアントの皆様にアウトプットできる情報をもっともっと増やしていきたいです。基本的には私はYoutube から人の考え方や社会動向、企業の事業戦略などをインプットしています。一人のビジネスパーソンとして、心のモチベーションアップのためのコーチング的な位置づけも Youtube が担っています。あえて情報源を絞ることも情報過多社会の中では大事なプロセスです。毎日インプットする習慣を大事にし続けます。そして、今後は 20 代に留まらず、学生へ生き方やキャリアについての講演会なども実施していき、若い世代への支援の幅を広げていきたいと考えています。
 対社内に関しては、状況に合わせマインドを変化させる柔軟性を持つことが求められています。株式会社LOOL を立ち上げてから約一年が経ち、創業メンバー と活発な議論を交わすことも増え、 より良い働き方や会社のビジョンを追求する良い機会であると共に、それぞれの立場の目線に合わせる重要性を感じています。


私の自立ー 最後に応援メッセージ:挑む私

 若いうちは、自分の軸も定まらないし、何が強みかを特定していくことは難しいと思います。人生経験が少ない分、それは問題ではありません。しかし、だからこそできることを増やしていく努力はできます。そのために、辛いと思うことから逃げずにあえてぶつかっていくことも重要です。
 会社というのは働く手段、自分の人生を作っていく手段でしかなく、目的ではありません。会社で働くことを目的にしては、流動性が高いこのご時世では自分を見失う可能性が高いです。自分の在りたい姿を描き、目の前のやれることを増やす努力をしながら人生を設計していきましょう。


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