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ミハル・ラトキエという矛盾

あんたもガンダムシリーズを楽しんでいるかい?

もぉさ。
めちゃくちゃシリーズ作品が多いから、全部見きっているヒトは少数派だと思うんだ。
俺も全部は見れていないし。

でも、そんな限定的な視聴でも、結構印象に残っている話ってのはあるんだよな。

原点である1stガンダムなんて、1979年に放映されていた作品なのに、今見ても泣ける話があるもんな。

あの壺をキシリア様に届けてくれよ。
あれは良いものだ!

ガキンチョの頃に見たときは意味がわからない感じだったけれど、今見ると一人の男性として一人の女性であるキシリアに思いを向けていたってことが感じられるセリフなんだと思うんだよな。
しかも、その思いが報われることを全く望んでいない感じで。

このあたりが漢マ・クベって表現をするヒトがいる所以だよな。
#諸説ある
#映画版で表現されてない

今回は印象に残っているガンダムのシーンを眺め直す回だ。

まあ、俺の趣味嗜好を眺めて行ってくれよ。

1stガンダムで最も印象的なシーン

一般的にはだよ。
「ああ、刻が見える」のセリフに象徴されるアムロとララアのシーンだと思うんだけれどさ。
いや「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」か?
妻に聞いてみたら「坊やだからさ」が出てきた。ははぁん。

確かにララア・スンという女性がアムロ・レイとシャア・アズナブルという二人の巨人を呪いに縛り付けたって意味では物語としての表現としてのデカさってのは否定するもんじゃない。

ランバ・ラルという存在がアムロ・レイを戦いという状況に縛り付けた呪いになったのも意味が大きい。

ガルマ・ザビという人物がシャア・アズナブルにとってザビ家という組織に対する人身御供のように感じていただろうことも、実に行間を読み込ませるシーンだと思う。

ミハル・ラトキエの物語

まあ、そんな感じで印象的なセリフが至る所にある1stガンダムなわけだけれども、俺としてはミハル・ラトキエの一連の話が一番印象に残っているんだよな。

なぜ、シャアでもアムロでもララアでもなくミハルなのか?

彼女は孤児だった。
ベルファストはイギリスであり、地球連邦の勢力下にあったから決して一年戦争の時点では戦場の最前線ってわけじゃなかったと思う。

それでも彼女は孤児になってしまった。
おそらくは今で言うところの集団的自衛権の名のもとにご両親はオデッサあたりで戦死してしまったのかな?

あんまりミハル・ラトキエの両親がなぜ亡くなってしまっているのかってのは作品として表現されていないんだよな。
地球に住んでいたことから考えると、地球連邦側の家庭でもしかしたら元はワリカシ裕福な家庭だったのかもしれない。

その状況から両親を失い、幼い弟と妹というかけがえのない家族を守るためにもしかしたら両親の命を奪ったかもしれない「敵」の手助けをすることになった。ジオン公国側のスパイとしてね。

もうさ。
どうやって正気を保ってられるのかって感じの状況じゃんか。

そんなときにたまたま言葉をかわすことになったカイ・シデン。

サイドセブンからの連戦で本来民間人であるカイ・シデンはすっかり戦争ってやつに嫌気が差していた。
そのため、ホワイトベースを降りて晴れて民間人となろうとしていたところでミハル・ラトキエに拾われる。

振り返ってみると、ミハル・ラトキエの意図ってこの時点ではよくわからんのだよね。
少しでも連邦側の情報をゲットしてその情報をジオン側に買ってもらうって意識だったのかな?

で、カイ・シデンの方も結構感情に振り回される。
降りたはずのホワイトベースが攻撃を受けているのを見て、帰っちゃうんだよな。
言っても機動戦士ガンダムのときには17歳の少年だもんな。

そう言えばミハル・ラトキエは何歳なんだ?
おおう、設定がないのか。ほほう。

で、ミハル・ラトキエはジオンからの要請を受けてホワイトベースに潜入し、カイ・シデンと鉢合わせになり、カツ・レツ・キッカがホワイトベースにいることを目の当たりにすることで、弟と妹と存在を重ね合わせる感覚となり、子どもたちを守らないといけないという意識を芽生えさせる。

結果として、カイ・シデンとともにガンペリーという戦闘機というよりは輸送機に乗り込んでジオンを攻撃する。

ガンペリーには輸送機とは言え、一応ミサイルの武装がされていた。
ただ、そこは輸送機。あんまり頑強に武装管制装置が作られてはいなかった。

攻撃を受けたガンペリーは操縦席からのミサイル発射が出来なくなってしまう。

そこで、ミサイル管制を直接ミサイルの脇にある制御装置から行うという判断をカイ・シデンがして、ミハル・ラトキエが実行することになる。

そこに取り付けられていたミサイルを撃ったときの爆風に巻き込まれて彼女は命を落とす。
ミハル・ラトキエもカイ・シデンもイレギュラーなミサイル運用についての知識はなかったんだろう。

きっとあのミサイル脇の発射機構を使うときの手順ってのがあったはずじゃん。

この物語以降、カイ・シデンという人物の生き様が明らかに変る。

ヒトとの出会いってのはこういうものなのかもしれないな。

なあ、あんたはどうだい?

ガンダムという作品であんたの生き様は変わったかい?

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