子供たちは何から学べるのか?
子供が熱を出して焦る。あんたにもあるよな?
よりによって今かってタイミングで熱を出してくるわけだが、神様とやらが「おまいの愛情が足りないんじゃ。注いどけ」って言ってんのかね?
まあ、注ぎきれているとは口が曲がっても言えないわけだが、それでも子供に幸せになってほしいという思いには微塵もゆるぎはない。
今回は、子供に何を経験させるのがこれからの世の中に大切なのかをとりとめもなく考えて見る話だ。
まあ、たまにはこう言う結論もへったくれもない話に付き合ってくれよ。
学校制度と流通する情報量
まあ、このインターネットが世の中で普通になってからこっち、俺たちの周りを駆け巡る情報量の多さは、ある意味感動すら覚えるよな。
ある意味、俺たちの世代は大学に入った頃からインターネットが手元で体験できるようになってきて、それを遊びのように使い始めた黎明期のインターネットを体験している。
それから考えると、今の状況は完全に想像の外だ。
多分、生まれてから高校生くらいまでの時代の変化スピードと、大学から社会人になってからの時代の変化スピードは倍以上違う気がするぜ。
俺ですらそうなんだから、息子のおとなになる頃なんて、俺の知らない仕事だらけになるに決まっているよな。
で、そんな巨大な情報量に翻弄されながら、学校で教える情報量は全く変わっていない。
小学1年生でならう漢字の文字数は昔から変わっていないよな?少なくとも10倍に増えましたなんて話は聞いたことがない。
そらぁ小学生なんだから、覚えられる量には限界があるだろ?
それは間違いないんだが、時代はそれ以上の情報量を個人で消化することを求めている。
毎日のニュースにしても、興味のある分野の情報にしても、信じられないくらいの情報が自分の中を通り過ぎていく。
メールなんて、個人のメールは未読の山だ。読む気も起きない。
それほどの情報流通量の増加が現実としてあるのに、学校制度はほとんど変わっていないってのが俺の印象だ。
たしかに、モンスターペアレントなんてもんが言葉になっちまって、それに対策を練らなければいけない学校組織の悲哀とかもあるよ?
でも本質的に「学ぶ事」の変化ってのがなさすぎやしないかね?
人としての成長を促す経験
あんたはどんなときに成長できたって感じたか覚えているかい?
俺の場合は学生時代に成長できた気が全くしなくて、ほとんど社会に出てからの成長しか覚えていない。
そこにあるのは、なんなんだろうな?
多分、それは主体性だろう。
主体的に取り組んで、その成果も責任も自分で負う経験。それが何よりも自分を成長させてくれた気がするわけだ。
じゃあ、小学生に責任を負わせるなんて出来るのか?
多分、出来る。
自分が役割を担って、その担った範囲で自分や周りの人が困る経験をさせてあげるのが良いんだろうな。
そのためには何が良いのか?
きっと集団行動ってやつを経験させることが大切なんだろうな。その意味では学校はとても重要な機会を与えてくれている。
だからこそ、学校には変わってほしいんだけどな。
まずは
まずは、子供の好きなことに集中させてあげようかね。
その上で、主体的に好きなことが出来るっていう体験を与えてあげるのが重要だよな。きっと。
あんたはどう思う?
これからの世の中を生き残るために、俺たちの子供たちは何を体験したらいいんだろうな?
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