褒め方を考える
あんたも「褒めて育てる」って言葉を聞いたことあるよな?
子どもの教育において、叱って育てるのと褒めて育てるのってのは両極端ではイカンってのはなんとなくイメージ出来る。
叱ってばっかりだと子どもは萎縮しちゃうし、褒めてばっかだと調子に乗ってサボり始めちまうと思うしね。
ところがどうやらこの褒めるって行為は「何を褒めるか」ってのが大切なんだって話があるらしい。
おおう、褒め方間違えると子どもの能力が下がるだと?
ちと由々しき問題だ。
今回はこの記事を読んでみて、実際の褒め方を考えてみる回だ。
多分これって子どもだけじゃなくて家族や仲間に対するコミュニケーションにもつながりそうだよな。
ちっと付き合ってくれよ。
褒めるべきポイント
この記事によると、スタンフォード大学の研究結果として、「勉強ができる」という状態を褒めると成績が下がり、「勉強ができる努力をした」ということを褒めると成績が上がるってことらしい。
研究の中での分析によると、どうも「勉強ができる」というのはステータスで、そのことを褒めるとそのステータスを維持しようとして、自分ができることしかしないようになるってことなんだそうだ。
つまり、「勉強ができる」ことを演出するために行動し始めるってことだ。
例えばスポーツが得意なら、勝てる相手を選ぶようになるし、テストでも数学が得意なら他の教科は勉強しなくなるとかそう言うことなんだろうな。
対して「勉強ができる努力をした」ことを褒めると、なにしろ努力そのものを褒められているので、努力を続ける様になる。
なるほどね。
これ、多分叱る方も同じことになるよな。
つまり「成績が悪いのはダメ」じゃなくて「成績が悪いまま努力しないのはダメ」って叱らないといけないってことか。
なるほど、丁寧に叱りなさいよってことになりそうだ。
こいつは反省点が結構ありそうだぞ。
行動を褒める
じゃあ、実際に努力を褒めるとしてだ。
努力ってなんだ?って話になるかもしれない。
何?言っている意味がわからないって?
つまりさ。
「○○してエライね」
って褒めるのか
「〇〇しようとしてエライね」
って褒めるのかってことね。
なんつーの?
行動したという事実を褒めるのか、それとも行動しようとする意欲を褒めるのかってことね。
多分、こいつは両方やらないといけないってことなんだろうな。
行動事実を褒めるのは、子どもが自分自身の選択の結果としての行動を認められたという承認欲求を満たされるから、再度その行動を実行する意欲が生まれる。
行動意欲を褒めるのは、そもそもその意欲がない状態だった子どもに「意欲を持つと褒められる」という成功体験をもたらすことになるだろう。
いや、結構難易度高めだな。
要するに子どもの行動を逐一観察してないと出来ないやつだ。
出来て当たり前だと思っていることを褒めるってのは結構意識しないと出来ないだろうな。
仕事で褒める
で、冒頭でも書いた通り、この努力を褒めるという行為は仕事でも意味が大きそうだよな。
本来、仕事ってのは結果がすべてだ。
なので、当然結果で評価ってのはなされるわけだけれども、さっきの理屈で言えば結果で評価していると、評価されるヒトはその結果を守りに行くための活動をするようになるってことだ。
つまり出来ることしかしないようになる。
これさ。
成果主義って言葉の闇を感じさせることだよな。
かと言って、努力を褒めなさいよってなったとして、定量的な判断って結構難しい。
仕事仲間の行動を逐一チェックするなんて現実的に出来ないし、そもそも仲間を褒めるほどの余裕が無いことも普通に仕事だったらあるわけだ。
となると気がついたときに褒めるしか無いんだけれど、基本仕事ってやっぱり結果が出てからじゃないと仲間の行動を意識することって少ないんだよな。
結果が出てから、「そういえばあいつはこの結果のために頑張ってたよな」って気づくやつだ。
じゃあ、どうするか?
まずはさ。
自分のことを褒めてみることから始めれば良いのかもしれない。
自分の行動は自分で理解できているもんな。
自分の行動を「言葉」にして褒める。
そしたらさ、仲間の行動を褒めるときにも「言葉」が使える様になる気がしないか?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは努力を褒めることで子どもや仲間や自分の力を伸ばしていけると思うかい?
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