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AIによって脅かされる個性

あんたも世界の変化ってやつを実感しながら過ごしているかい?

いつも通りネットを散歩してたら、こんな動画を見たんだよ。

いや、シンギュラリティって言葉はよく聞く言葉だけれども、2025年にはそいつが来ちまうらしい。

おいおいおい。準備出来てないぞ。

ちっと調べてみたら、野村総合研究所の研究によると2025年から2035年の間に職業の49%がAIに置き換わるって話もあるらしい。

たしかに2022年の後半あたりから流行っているAIでの描画やら作曲やらなんてサービスを見ていると、それまでの感覚とは世界観が違う様になってきているもんな。

今回はシンギュラリティが起きた世界において、ヒトがどうなるのかって想像を巡らす回だ。

ちっと俺たちの価値観ってやつを見つめてみようぜ。

AIによる創作

あんたもnoteとcanvaが連携するようになってからcanvaを使うようになっているかもしれないけれど、canvaもすでにAI描画の機能を持ってきているよな。

廃墟を走る少年

例えばこんな感じの絵がチョチョイのちょいで作れるわけだ。

現時点では若干溶けたような絵になるとか色々あるけれど、これも学習させた情報量が指数関数的に増えていくことによってあっという間に、改善されていることは想像に難くないんだよな。

どうも絵だけじゃなくて、音楽、文章などのあらゆる創作と呼ばれるジャンルにAIが進出してきているよね。

なんか、画像をインプットにしてその画像を説明する文章を作り上げるなんてツールもあるんだそうだ。

こうなってくると、noteの記事の中にもAIで書かれているコンテンツなんてのも普通に出てくる話になると思うんだよ。

コンテンツがAIによって作成される世界観

こんな風に「上手なコンテンツ」ってのをAIが作り上げるって世界観を想像してみる。
恐らくというか、当然のようにコンテンツの作成に対する人的コストが激減することになるよな。

そらそうだ。90秒の楽曲を作成するのに13秒しかかからないってなったら、今この瞬間に聞きたい感じの曲を作り上げた方が早いって話になってくる。

そうなってくるとさ。
例えば宇多田ヒカルさんの曲ってあるじゃんか。
俺は大好きな曲がいっぱいあるんだけれども、「俺が大好きな感じの曲」ってのをちゃちゃっと作れるって世界になったら、俺は宇多田ヒカルさんの才能を愛しつづけることができるんだろうか?

結構難しくないか?

これって他人事には出来なくてさ、俺たちはみんな発信者でもあるって世界で生きているわけじゃんか。

読みたいもの。
見たいもの。
それをものすごく低いコストで手に入れられる。
検索という手間すらかけずに好きなコンテンツってのが自動的に手元に届く。

そうなったときに、俺たちは発信を続けるんだろうか?

ヒトが発信する意味

コンテンツに対して個性ってのが必要とされないなんて状況になったとしたら、確かに発信するモチベーションなんて持てっこないよな。

でも逆説的に言うとさ、その世界観になったときに俺たちはどうやって俺たちの個性ってのを出していけば良いんだろう?ってことになるじゃんか。

今後、AIによって作り出されたコンテンツってのは増加の一途になると思う。
きっと、そのコンテンツってのは俺たちが想像もつかないような内容になっていくのも時間の問題だろう。

そうなったらさ。
俺たちは何をもって「このヒトの作品が好き」って気持ちを持つんだろうか?

もっと言うと、俺たちはどうやってヒトを好きになるんだろうか?

その問いにすらAIが回答を出してくる世界で、俺たちはどうやって「自分の気持ち」ってものが自分だけのものだって確信を持てるんだろう?

そもそも、俺は俺の気持ちってのが「俺のもの」だって今この瞬間に証明することすら出来ないのに。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちのアイデンティティってやつが証明できないようになりつつある今という時代で、俺たちはどうやって個性ってものを抱え込んでいられるんだろう?

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