ヒトの印象、俺の印象
あんたもなんらかのSNSでのフォロワーの数ってのを意識していたりするかい?
ここnoteでもフォローって仕組みがあるけれども、ぶっちゃけトップページの仕様変更によって、あんまりフォローそのものの効果ってのは出にくいって感じがあるんだよな。
ここで言う効果ってのは読んでもらえるチャンスが増えるかって感じね。
俺の場合は現状では有料記事とか、書籍出版とかをあまり出来ていないので、読んでもらって、それになんかしらの反応をもらうってことで、「俺を認識してもらった」ってのがnoteを書くモチベーションなんだよな。
まあ、書籍出版はいつかは出来たら良いなくらいには思ってるけれど、正直誰に向けた本にしたら良いのか全くイメージできないんだよな。
#ダメなやつ
そんななかでだいぶ前にみんな大好ききゃらをさんのこんな記事を読んだんだ。
曰く、記事に一個もスキを入れていないのにフォローとかどないねん?
って感じかな?
なるほど。
そう言う違和感ってのを感じることもあるわな。
今回はSNSにおけるフォローってのを考えてみる回だ。
まあ、SNSをまともに使いこなせていないオッサンの戯言に付き合ってくれよな。
フォローするという行為
俺の場合ね。
例えば記事にスキをもらったりするじゃんか。
そのスキをくれたヒトがどんな記事書いてるんじゃろかい?って思って見に行くことがまあまああるんだよね。
で、読ませてもらって何か感じることがあったらスキを残す。
さらにもう何個かの記事を読ませてもらって感じることがあったらまたスキを残す。
複数の記事に感じるものがあったらフォローさせてもらったりする。
理屈的にはスキをもらったら、スキ返しを問答無用でやるのが良いんだろうし、フォローしてもらったら問答無用でフォローバックしたほうが良いんだろう。
ただなあ。
俺は最初に書いた通り、俺は読んでくれたヒトに俺を認識してほしいんだよ。
他のSNSでのフォロー
一応、Twitter(今はXって言わんといかんの?)とfacebookはやっとるんだよ。
Twitterは鍵アカウントでだけの利用というワリカシ特殊な使い方をしていて、facebookはあんまし積極的につながりを広げようとして行ってない感じ。
InstagramもTik tokもやってないのでよくわかっとらんのだけれど、きっと映像とか動画とかのほうがオモロイを共有しやすいってのがあるんだろうな。
中学生のころちょびっと写真をかじっとったんだけれど、我ながら写真のセンスは無いと思うんだよな。
で、まともに使っているSNSってのはnoteとfacebookだけって感じなんだけれど、その両方とも投稿されている内容に魅力を感じたかどうかでフォローするって感じが多いと思う。
ってか、そう言う「オモロイ」が無いとヒトを覚えられないんだよ。
facebookだと、まるっきりなんも記事投稿がない状態でフォロー申請が来ることもあるんだよね。
なんか美人さんの写真が多い気がする。
わかりやすい感じw
でも、そのヒトたちはどうやって俺を見つけたんだろうな?
facebookのアルゴリズムよくわからんなあ。
心に残っているヒト
ぶっちゃけね?
どのSNSでもそうなんだけれど、認識として残っているヒトってものすごく限定的なのよ。
今回紹介したきゃらをさんの記事とかもあるけれど、印象に残っているヒトってのは10人くらいじゃないかな。
で、たぶんだけれども俺も誰かの印象に残してもらっている事はイレギュラーだと思う。
俺自身は個性ってのを全面に出して書いているつもりだけれど、そもそも文字での表現ってのはパワーが低い。
それゆえに香坂兼人というキャラを認識しているヒトは少ないと思う。
たぶん、俺が求めているのはその数少ないヒトに覚え続けてもらえることなんだよな。
いつか、俺の命は尽きるわけだけれど、その後に少しでも覚えていてもらいたい。
それになんの意味があるんだ?って言われたら答えられないやつなんだけれどね。
なあ、あんたはどう思う?
SNSという仮想的な空間で俺たちは印象を共有し続けることが出来るんだろうか?
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