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感情が独り歩きしてしまう怖さ

あんたは品川駅の港南口に行くことってあるかい?

すっかり感染者数のニュースでおなじみの光景になっちまったけれども、あの場所は非常に多くのヒトが行き交っていて、常に人混みがある印象が強い場所だ。

その多くのヒトが行き交うって場所の強みを活かした広告も設置されている。

港南口に向かう駅の構内に設置されている数多くのデジタルサイネージに印象があるってヒトも結構いるんじゃないだろうか?

今回は、そのデジタルサイネージに映されたある広告が炎上しているって話について考えてみる回だ。

俺たちの感情はどこに向かっているのか。
考えてみようぜ。

仕事に対する感情

今回、俺の低めのアンテナに引っかかってきたのがこの記事だ。

なにやら、品川駅港南口のデジタルサイネージに「今日の仕事は、楽しみですか」と言う広告出したら、Twitterで炎上したんだと。

なんでも「仕事を楽しみにしないとダメなんか!」って怒っているらしい。

ぶっちゃけた感想を書くならば、「いや、どんだけ何かに当たり散らしたいんよ?」って感じなんだよなぁ。

仕事に限らず、俺たちは生きていればオモロイことも悲しいことも腹立たしいことも起きる。

ぶっちゃけ、この広告が「今日は楽しみですか?」だったら良かったのか?って言われたら、それだって当たり散らしたいヒトってのはいるんじゃないかとも思う。

なんでも、そのTwitterでの「炎上」を受けて、このデジタルサイネージでの広告は1日で取り下げられたんだそうだ。

広告に対する言葉狩り

実際、広告としては不快感を伴った時点で失敗ってことなのかも知れない。

ただ、「今日の仕事は楽しみですか?」って言葉単体にそれほど強い反応があるってことって、事前に予測出来るもんなんだろうか?

さっきも書いたとおり、生きてりゃいろんなことがあるわけだから、その一部を切り取ったような表現としては、別段違和感のある言葉ではない気がするんだ。

その感覚自体がおかしいって意見もあるんだと思う。
実際、Twitterでは燃え上がっちまっているってのは事実なわけだもんな。

そのことを踏まえた上で俺が思うのは「そんな言葉狩りする世界観って俺たちはスキなのか?」ってことだ。

そりゃ、色んな意見があってその中には気に食わない意見もあるだろうさ。

でも、その気に食わない意見の中には自分の中になかった視点も普通にあって、そう言うのも自分の中に取り込みながら自分の世界観を広げていくってのが俺たちが生き残るすべってやつじゃんか。

Twitterという環境

で、多分だけれども、このTwitterで「炎上」した発信をしているご本人もこの広告でメチャクチャ感情をかき乱されたわけじゃないと思うんだよ。

ちらっとこの広告を眺めて「なんかムカつく」って思ってTwitterで投稿したってだけなんだと思うわけ。

Twitterは文字数制限があるから、その感情についてあんまり深堀りしたことは書けない。
その結果として言葉が独り歩きしてしまうことが多いんだと思う。

「炎上」はTwitterでよく起きているってイメージあるもんな。

その独り歩きした言葉が一つの広告という「仕事」を終わらせてしまった。

仕事である以上、それなりのお金と責任を伴ってヒトが動いていたんだと思うんだ。
「なんかムカつく」って思ってつぶやいた本人もそんなふうに誰かの仕事を台無しにしたいと思って書いているわけじゃないと思う。

思うに、感情を吐露することがインターネットでその感情に触れるヒトが爆発的に増えるってことに対して、俺たちはもう少し考えたほうが良いってことなのかも知れないな。

Twitterは特に文字数制限の制約もあって感情をストレートに表現されることが多いと思う。
そして、そのストレートな表現は読み手にストレートに伝わることが多いのかも知れない。

SNSがなかったら、そのストレートな感情は直接会って話す範囲にしか伝わらなかった。

でも俺たちはSNSで感情を表現することで、不特定多数にその感覚を無意識の内に伝えてしまう。
負の感情を表現することがもつ影響力がえげつない事になっているってわけだ。

負の感情を感じることは止められない。
俺たちは感情から自由になることは出来ない。

でもその感情を表現する前に、俺たちが出来ることもあるはずだよな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは俺たちの感情に共感してもらいたいときにどんな方法があると思う?

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