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ガンダムが受け入れられない理由

あんたにもお気に入りのシリーズものってあるかい?

俺はオッサンの必修1単位であるガンダムがスキなんだよ。
#2単位ではない
#選択科目でもない

水星の魔女ももうすぐセカンドシーズンが始まるし楽しみだよな。

で、ネットをいつも通りさまよい続けていると、どうも若者のガンダム離れってのが結構危機感を持って認識されているって話があるらしい。

確かに息子を見ていると、ガンダムのことをむしろ避けているようにすら見える。

今回は今の若者にガンダムが受け入れられない理由を想像してみる回だ。

ちっとガンダムってなんなのかを考えてみようぜ。

悲劇が好まれていないのか

ガンダムと言えば、ほぼハッピーエンドにはならないじゃんか。

何?ガンダムSEEDはハッピーエンドじゃんかって?
あれは「作り上げられたデザインベイビーが生き残ることで世界の形を変えてしまった」って言うバッドエンドだと思うんだよ。

まあ、エンディングをどう描くかってのは多少の差があるけれど、途中に悲劇的な展開を挟むってのはガンダムってフォーマットにおいて避けて通れないものだと思う。

で、息子を眺めていると、どうにもその悲劇を受け付けられないって感覚があるらしい。

同じ意味で進撃の巨人も受け付けられないっぽい。

あれ?でも僕のヒーローアカデミアは楽しんでるっぽいな。
あれもよく考えると悲劇の繰り返しなんだけれどな。

終わりのない悲劇の物語

そんなふうに考えてみると、もしかしたら悲劇というものを表現するフォーマットが違うってことなのかもしれないって思ったんだよ。

「悲しいけれど、これ戦争なのよね」

ってスレッガーの悲劇の表現と、

「次は……君だ」

ってオールマイトの「象徴」が失われた悲劇表現にどんな差があるのか。

単純に命が失われるかどうかって話か?
多分違う。

悲劇の向こう側に希望があるって思わせているって違いがある気がしないか?

ガンダムって絶望的な状況が連続して、ほんの少しの光が見えたと思ったエンディングを経由して、他の作品でそのほんの少しの光の存在は幻だったなんて無限地獄が描かれる。

対して僕のヒーローアカデミアでは「これは僕が最高のヒーローになるまでの物語だ」もんな。
ハッピーエンドが約束されている物語ってわけだ。

ただでさえ、絶望的なまでな閉塞感に満たされている現実を生きるヒトにとって、ガンダムのフォーマットはエンタメとして楽しむには重すぎるってことなのかもな。

SFそのものの難しさ

でもそんな事言ったら進撃の巨人はどうなるんだよ?って思ったりもする。

確かに息子は進撃の巨人を好んでいないっぽいが、世の中一般で見ればあの作品ってものすごく受け入れられていると思う。
老若男女問わずにね。

あの悲劇の連続の物語がだ。
ほんのちょっぴり喜劇が挟まるけれど、そいつは次の悲劇のためのロイター板みたいなもんだ。

思うに、ガンダムに限らずだけれどもSFってのは話を楽しむための難易度が高すぎるんだよな。

科学技術に対する知識もある程度いるし、その技術によって世界がどう言うようになってしまっているのかって想像力も必要になる。

ガンダムなんてスマホがない状態で宇宙進出した世界なんだぜ?
今の世界の延長ではない「未来」を想像するのって結構な能力を求められる気がするわけだ。

作品の歴史の量

更にガンダムの場合、特に宇宙世紀ものについては積み上げられた歴史の膨大さってのがある。

最初は子どもたちが戦争という状況の中で生き延びるってだけの物語だった。

「君は生き延びることが出来るか」

ってやつだ。

その物語が星の数ほどの物語で補完され続け、今のガンダムという世界観が出来上がっている。

単純に処理するべき情報が多すぎるんだよな。

例えばガンダムUCは傑作だと思うんだよ。
でもあの作品を楽しむには初代ガンダムから逆襲のシャアにいたるまでの歴史的背景ってのを理解していることを求められていると思うんだよ。

そのハードルの高さって他の作品とくらべても群を抜いている。

なのでせめてその歴史のハードルを取り除くために多くのアナザー系ガンダムが出来上がっていっているってことなんだろう。

でもさ。
そうなってきたら思わないか?

「ガンダムってなんだよ?」ってさ。

なあ、あんたはどう思う?

ガンダムってのはおもちゃ屋が自社製品を売り込むための体の良いチラシにすぎないんだろうか?

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