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周庭さんの亡命に見る日本

あんたには周庭さんという香港の御仁についての話が流れてきているかい?

周庭さんと言えば、この間カナダに事実上の亡命をしたヒトってことでニュースになっていたよな。

香港が実態としては自由主義ではなくなっているって現状を憂いているヒトはそれなりにいると思う。
なんつっても日本は自由主義陣営だからね。

生まれてからずっと自由主義ってやつの中で暮らしてきているから、自由に発言することもままならないとか、SNSが制限されているとか言う現状を聞くと、「そんなところに行きたくない」って思うヒトも多いと思う。

実際、日本人でもアステラス製薬の社員のヒトが中国警察に身柄を拘束されたなんて話もある。

2014年に中国で施行されている反スパイ法によって、「中国の国家安全保障に反する活動」なる理由で逮捕される状況になっている。

おいそれとビジネス目的で訪れることも難しい国になってきているってわけだな。

今回はそんな中国が日本の日常に及ぼしている影響について考えてみる回だ。

ちっと身の回りで起きている現実ってやつについて考えてみようぜ。


周庭さんは亡命先にカナダを選んだ

知っているヒトは知っていると思うけれど、周庭さんは親日家として知られているヒトなわけだけれども、じゃあ、なんで日本に亡命しなかったんだろう?

そんな疑問にはこんな記事があった。

この記事によるとざっくりとした日本を亡命先に選ばない方がいい理由はこんな感じだった。

  • 日本は亡命を積極的に受け入れてきていない

  • 日本には亡命者を守る施設も経験もない

  • 中国の諜報網が日本に張り巡らされている

なかなかな状況だよな。

「よそ者」を拒む日本

日本が日本国籍を持っていないヒトを受け入れないってのは結構根っこのところにある感覚だと思う。
島国根性と言ってしまえばそれまでかもしれないけれど、「海外」という感覚はある意味では宗教みたいなものかもしれないと思うんだよな。

村社会という言葉が象徴するように、日本は近代にいたるまで仕組みとして「よそ者」を排除することによる封建制の維持ってのをやってきた歴史がある。

生まれ育った村から出ることもままならないような共同体の中ではぐくまれた「よそ者」に対する感覚ってのは世代を超えて今の日本にも息づいているってことなのかもしれない。

実際、身近なところでも「身内」と「よそ者」ってのをあんたも意識した記憶があるだろう?

それくらい、この「よそ者」に対する感覚ってのは俺たちの中に根付いているもんだと思うんだよな。

「よそ者」と「監視者」

俺が周庭さんが日本に亡命しない理由を教えてくれた記事を読んでもう一つ思ったことがある。

それは日本にも中国の諜報網が張り巡らされていて、そいつは近所の町中華やクリーニング店にも手が伸びているってことについてだった。

これさ。
「よそ者」に対する日本に根付いている感覚と相性が良すぎやしないか?ってこと、思わないか?

よくも悪くも日本はこの「よそ者」感覚によって、他人の目ってのをものすごく気にするってのがあると思う。
逆に言えば他人の目ってのがあるのが自然ってわけだな。

ITが浸透する前から俺たちは監視社会に生きてきたってわけだ。

そこに中国が監視の報酬をぶら下げて監視者を雇っているってわけだ。

たぶんだけれど、中国に関しした結果得られた情報を渡しているのは中国国籍を持っているヒトだけじゃないと思う。
日本人だって普通に情報を売っているって考えるのが自然だよな。

そう考えるとさ。
結構恐ろしいことになっている気がしてこないか?

俺たちは知らぬ間に自由主義社会から隔絶されつつあるってことにつながってしまいそうでさ。

普段から何気なくチベットやウイグル自治区についての感想を発信していたとして、そのことが中国共産党政府に情報として売られていたとする。

そして、ビジネス目的で中国に行かなければならなくなって、突如「反スパイ法」の法の下に拘束される。

そんなことが普通に起きうるってことだもんな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちの日常の世界観は俺たちの見えている通りの姿なんだろうか?

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