理解すること助け合うこと
あんたは自分の能力ってやつについて考える事があるかい?
みんな大好きももまろさんの記事を読ませてもらって久しぶりに思ったんだよな。
「あ、俺はバカを演じる才能が無いんだ」って。
言い方を変えるならヒトとのコミュニケーションに対して真っ向勝負以外のオプションを持っていないって感じ。
いや、あれよ?
必ずしも戦いを挑んでいるってわけじゃなくてさ。
相手が悲しんでいたならその悲しみを自分の中に再現できたって思えるまでその悲しみに寄り添いたいって思っちゃう感じ。
相手が怒っていたんだったら、その怒りを自分の中に再現した上で、その怒りは一過性のものなのか?恒久的なものなのかを本気で考えちゃう感じ。
相手が笑っていたなら、その笑いを再現するにはどうすれば良いのかって考えるために「なんで笑ってるの?」とか聞いちゃう感じ。
とことん個のコミュニケーションってのが不得意なんだよな。
ももまろさんの記事を読ませてもらって「コミュニケーションの回避」ってのが意味を持つってことを感じたんだよな。
今回は真っ向勝負のコミュニケーションってやつについて考えてみる回だ。
まあ、この記事そのものが真っ向勝負の話かもしらんが、付き合ってくれよ。
相手の感情を真正面から受ける
いや、まずもってだ。
相手が自分にストレートに言葉を投げてくれることってそうはないじゃん。
それこそももまろさんが書いてくれている通り、相手は自分の意図を察して絶妙にズレた形で会話のボールを投げてくれる。
そう。投げてくれるんだよな。
言葉がヒトの感情を表すものだとして、それが100%の精度で相手に伝わったとしたらだ。
たぶん社会は成立しないと思う。
なぜって?
むき出しの感情ってのはまるでナイフを突き立てる様に鋭いと思うからね。
いきなりオタクネタになって申し訳ないが、ガンダムにニュータイプっているじゃんか。
ニュータイプってお互いの意思を正確に理解する能力があるって説明がある。
でさ。
1stガンダムで行けばアムロとシャアってニュータイプなわけじゃん。
相手の感情を理解しているわけじゃん。
でも敵対するわけじゃん。
もっと言うならアムロとララアはわかりあえた様に感じているわけじゃん。
それをシャアは理解した上でアムロを「敵」としたわけじゃん。
たぶんこれってさ、コミュニケーションにおいて真実を捉えている表現だと思うんだよな。
つまり、相手の感情を完全に理解することは、コミュニケーションを円滑にすることにはつながらないってことだ。
相手の立場をおもんばかる
いや、じゃあどうすんだって話だけれど、やっぱ感情じゃなくて状況ってことを考えていくしか無いと思うんだよな。
例えば仕事仲間が置かれている状況ってのがある。
その状況がうまく行っていないから苛立つこともあるだろう。
これは感情だから苛立つことそのものは本人にはコントロールできないし、その感情が他の仕事仲間に伝染することも普通にあるだろう。
そこで俺たちがするべきなのは「苛ついてないで」って言うことか?
違うよな?
苛つくという感情をその仲間が感じている原因ってのを探って、その原因をケアすることだよな。
まあ、まんまとその原因が自分にあって、それが自分の感情に起因するってこともあるから、ままならんのだけれどさ。
そしたら、自分の感情が漏れ出ているって言う現状を仲間に助けてもらうって泣き言を他の仲間に頼るのも一つの手なのかもな。
それってある意味自分の無能をさらけ出すってことだから、勇気がいることだとは思うんだ。
なにせ、自分のコントロールも出来ないって誰かに晒すってことだもんな。
でもさ、逆に考えてみるとだ。
自分が仲間からそんなふうに頼られたらどんな風に感じる?
絶対、なんとかしたい。
そう思うんじゃないか?
まあ、相手との関係性にも依るとは思うけれどね。
なあ、あんたはどうだい?
あんたには弱音を吐けるやつがいるかい?
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