宇宙って言葉
あんたも宇宙について思いを馳せることがあるかい?
この宇宙って存在はたまらなく魅力的であるのと同時に絶対に理解し切ることが出来ないものでもある感じがあるんだよな。
この科学技術が発展しまくっている現代においても、未だにダークマターもダークエネルギーも観測できていないし、シューメーカー・レビィ彗星が木星に衝突するなんてことが、それこそ天文学的確率で起きたことの理屈だって分かりきっちゃいない。
まさに無限に広がる大宇宙は無限の謎を俺たちに提供し続けているってわけだ。
今回はその謎の塊の宇宙って存在を観念的に眺めてみようって回だ。
まあ、観念だから結論なんて出やしないんだけれども、付き合ってくれよな。
宇宙の語源
まずは宇宙って言葉そのものを眺めてみる。
結構謎な言葉だよな。「宇」も「宙」も単独では意味を理解しづらい感じだ。
で、困ったときのWikipedia先生だ。
「宇」は「天地四方上下」(つまり上下前後左右、三次元空間全体)「宙」は「往古来今」(つまり過去・現在・未来、時間全体)を意味し(中国の戦国時代の書物・「尸子巻下」)、「宇宙」で時空(時間と空間)の全体を意味する(漢代の書物・「淮南子斉俗訓」)。
「宇」は「天」、「宙」は「地」を意味し、「宇宙」で「天地」のことを表す。古代中国の漢字文化で、「宇」と「宙」を組み合わせて生まれた言葉であると言われている。
出典:Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E5%AE%99
つまりは「時空」もしくは「天地」から宇宙って言葉は出来ているってことだね。
当たり前だけれども、壮大な言葉だよな。
で、ちょっと思う。
時空にせよ天地にせよ、これらの言葉の一部に俺たちや俺たちの身近な環境が含まれているんだよなぁってさ。
俺らが普段宇宙って言葉から受け取るイメージって空じゃないか?
空を見上げて無限の宇宙に思いを馳せるなんてのは古代からヒトという生き物が続けてきた行為だと思うんだ。
でも、宇宙は時空であり天地であるって意味は、俺たち自身が宇宙の一部だってことを言葉として表しているわけだ。
宇宙は見上げるものじゃなくて、俺たちを含めた世界そのものだってわけだ。
俺は都民であるのと同時に日本人であり地球人であり宇宙人ってわけだ。
「時空」という言葉を眺める
さらに言葉遊びを続けてみよう。
時空って言葉。この言葉からあんたはどんなイメージを引き出すだろうか?
SF的?
ロマン?
色んなイメージを含んだ言葉だよな。
で、俺は改めてこの「時空」という言葉を見直してみたときに、一つの言葉が浮かんできた。
「孤独」だ。
時空を「時」と「空」に分けて考えてみたときに、時の不可逆性ってのがまず思い浮かんだんだよ。
時間ってのは、どんどん進んでいき、もとに戻ることが出来ない。
俺たちは生まれてから死ぬまで年を取り続けている。
正に今、俺たちは取り返しのつかない時を過ごしているってわけだ。
さらに空。
どうしようもないほどに、なにもない様子。
ここから得られるイメージは「埋められないもの」。
つまり時空と言う言葉は取り返しのつかない埋められないもの。
それって孤独って言うと思ったわけだ。
宇宙は「孤独」で出来上がっている。
それってもしかしたら正解なのかもしれないけれども、たまらなく悲しい響きを持つ言葉だよな。
「天地」という言葉を眺める
次に「天地」と言う言葉を眺めてみる。
こいつも色んなイメージを思い起こさせる言葉だよな。
俺の場合は「歴史」とか「戦争」とかの言葉につながるイメージが有る。
多分「天地」と言う言葉が俺にとって「世界」って言葉と同じ意味で、世界は戦争の歴史によって作り上げられてきたって思っているからなんだろうな。
でも、それって改めて考えてみると世界観が狭すぎだとも思う。
だって「天」は無限に広がっているんだから。
天地と言う言葉から戦争をイメージするのって、人間中心で世界を捉えているってことだもんな。
狭い狭い。
なあ、あんたもどうだい?
たまには無限の世界に意識を向けてみたらなにか見えるきがするじゃんか。
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