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あんたの自信が周りを幸せにする

あんたは自信を持って生きているかい?

そもそも何に自信を持つんだって話だが、自分が「それなりのもんだ」って思うことは、多分生きていくのに空気と同じくらい大切なことだ。

何しろ、自分が自分を認めてやれなくなったら、誰も認めてくれないからな。

今日は、自分のいいところを探していこうって話だ。

当たり前だが、物事には捉え方によって、どうとでもなることが多い。

例えば俺は理屈っぽいって否定されることが結構ある。まあ、話を聞くのが面倒なんだろうな。

で、その理屈っぽいってのは論理的だって褒め言葉に出来る。

結局は自分がどう感じていたいかをきちんと理解した上で、俺たちは感じていたいように自分の価値を感じることが出来るってわけだ。

だが、まあ、そんなこと言ったって、自分が自分をどう感じようとも、他人の評価は変わらないじゃないか!
あんたはそう言うかもしれないな。

確かに上司に評価されなけりゃ、給料も上がらないし、お客様に認められなけりゃ、おまんまの食い上げってもんだ。

でもさ、それでも俺は思うのさ。

あんたがあんた自身を認めなきゃ、誰もあんたを認める方法がわからないじゃないか!ってな。

あんたがあんたを認めるってのは、あんたのいいところをあんたが認識できたってことだ。
それは、あんたの周りに「俺はこんなことがすげぇんだぜ!」って説明出来るって意味になる。

まあ、実際には自分のアピールポイントを説明するなんてシーンは殆どないとは思うが、自信に満ちたあんたは、確実にあんたの周りに影響を及ぼす

逆にあんたが自信喪失していれば、それは逆の意味であんたの周りに影響を及ぼす。

な?あんたが自身に満ちあふれているってのは、あんたとあんたの周りにとってすごく重要なことなんだ。

でも一つだけ大事なことがある。誰かを非難して自分の自信を手に入れないってことだ。

誰かを非難するってことは、その人の価値を貶めるってことだ。
一時的にはあんたの価値が相対的に上がるかもしれないが、絶対的なあんたの価値が上がっているわけじゃないので、結局はあんたの価値が下がっちまう

必要なのは「〇〇なら任せな!」くらいの自信を持つことであって、「○○はダメだよな」って誰かを攻撃することじゃない。

まあ、共通の敵を見出して非難することで仲間を得ることも、出来ることは出来るだろう。でも、その仲間はいつかあんたの居心地を悪くしちまう。

なんでかって?
誰かへの攻撃によって結ばれた仲間意識は、必ず敵を必要とするからだ。

敵が去ってしまったら、新たな敵を探すことになる。それはあんたの価値を下げ続ける負のスパイラルだ。

だからあんたは自信を持とう。あんたの大切な仲間のために。

なあ、あんたは前を向いているかい?
あんたは周りの目を前に導いているかい?

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