俺たちは情報の選択の権利をすでに奪われている
あんたの生活の一部にもSNSが溶け込んでいるかい?
俺たちのほとんどが発信者となりうる世界観の根幹にある仕組みがSNSだと思うんだよね。
ところが、このSNSの仕組みについて詳細に把握しているヒトってのはほんの一握りなんじゃないかと思う。
俺自身、全てのSNSの仕組みの全容を把握しているかって言うと、絶対に把握していない自信がある。
そんなSNSの仕組みの一つに「発言のフィルタリング」ってのがあるってことらしい。
今回はこのフィルタリングについてかんがえてみる回だ。
ちっと俺と一緒に今の世界の一部をのぞきに行こうぜ。
透明人間を量産するフィルタリング
今回、このフィルタリングについて考える切っ掛けをくれたnoteがあるんだよね。
真木さんはホスピタルアートという病院に写真等のアート作品を展示することで病院に関わる医療関係者および病を患っているヒトを癒やすって活動を続けている御仁だ。
昨今の自粛に伴い、相当厳しい状況が続いているとのこと。
なるほど、コイツは支援が必要なやつだな。きっと。
で、このnoteではclubHouseという新しいSNSを始めてみたことで改めてSNSが持っているフィルタリング機能に気づいたっていうんだよ。
言われてみればあたりまえってことなのかもしれないけれど、facebookにせよTwitterにせよ、俺たちがフォローしている全てのヒトの投稿が俺たちのタイムラインに表示されるわけじゃない。
つまり、各SNSが判定している「このヒトとは関係が深そうだよね」ってアルゴリズムによって勝手に情報が絞り込まれているってことだ。
で、新しいSNSであるclubHouseにはそれがまだ働くほどの情報が集まっていないので、フィルタリングがほとんどされない。
SNSのフィルタリング機能による「透明人間」が一瞬だけれども見える状態になったっていうんだよ。
これってなにげに怖いことじゃないんだろうか?
俺たちの選択によらない選択
このSNSのアルゴリズムによるフィルタリングで俺たちが知らぬ間に情報を取捨選択をされているってのが事実だって考えると、もうすでに俺たちがどういう情報を欲しているかってことをSNSに勝手に決められているってことになる。
俺たちヒトという生き物には自由意志はないから、自分が心地よくなるための情報の取捨選択ってのが大切だってのが俺の意見なんだけれども、その取捨選択の権利の一部をすでにSNSのアルゴリズムに握られているってわけだ。
冨岡義勇いわく「生殺与奪の権利を相手に握らせるな!」ってやつな気がしないかい?
俺たちが日々の情報から感じる感情ってのは、比喩ではなく俺たちの命に直結している。
なぜかって?色んな情報から俺たちが感じる感情そのものの発生を俺たちはコントロールできないからだ。
腹の立つ出来事に出くわしたら腹を立ててしまうし、悲しい出来事に出くわしたら悲しんでしまう。
そこに俺たちの選択の余地はない。
だからこそ、俺たちは俺たちの周りにある情報ってのを取捨選択することが大切なはずなんだ。
その意味では検索エンジンってのはよくできていて、自分たちの選択によって情報を吟味するって余地がある。
ところがSNSのアルゴリズムによるフィルタリングにはそれがない。
俺たちの選択の余地なく、情報が選択されていっているわけだ。
つまりSNSのアルゴリズム一つで、俺たちは俺たちが喜ぶ情報がくるかもしれないし、場合によったら死にたくなるような情報がくるかもしれない。
まさに生殺与奪を握られているに等しいってわけだ。
俺たちの死因で自殺ってのは結構洒落じゃ済まないくらいの数になっている。
2020年11月までの累計で19000人を超えているそうだ。
これは新型コロナで亡くなっているヒトの3倍以上の数字だ。
そう考えると、この情報の取捨選択の余地が俺たちになくなり始めているってのは、結構空恐ろしい実態だと思わないか?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはこの生殺与奪の権利をどうやったら取り戻せるんだろうか?
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