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マスクで覆われた表情の先

あんたはニューノーマルな世界になってからこっち、マスクをしていないヒトの表情ってのをどのくらい見ている?

職場の仲間、友人、家族。
その中で唯一マスクをしていない姿を日常的に見ることが出来るのは家族くらいになっているって世界になっているよな。

ニュースとかを見ていると、どうもこの感染症が落ち着いたあとでも、普通にマスクを付け続けると言っているヒトが大半を締めているって話もあるらしい。

そうなってくるとさ、今までコミュニケーションの取っ掛かりである第一印象を何で感じるかってのが変わってくるような気がするよね。

今回はマスクを前提としたコミュニケーションについて考えてみる回だ。

人間関係の構築方法の変化の可能性について考えてみようぜ。

子どもたちの表情

今回、マスクが日常になることでどんなことが起きるのかってのを考える切っ掛けをくれたnoteがある。

はにわさんはこんな風に書いてくれているんだ。

幼い子供たちは、自由な時代の記憶も無く、マスクという仮面をかぶった社会をリアルな世界と思って生きているだろう。
仮面がもはや素顔なのである。

出典:上記note

これって、結構センセーショナルじゃないか?

確かに、学校では給食の時間以外の時間はマスクをしていることが求められていると思う。
そして、小学校低学年くらいの集団行動を学び始める時期でも、他人を認識するための「表情」ってものの大半をマスクで覆い隠された状態で子どもたちは過ごすわけだ。

いやいや、これ結構ヘビーじゃないか?

ヒトの個性の入口とも言える表情ってやつを読み取るって訓練が今の子どもたちはまともに出来ていないってことだもんよ。

これからの表情

でもこれは、別の意味も持っている気がしているんだよ。
つまり、これから先の時代は公共の場ではマスクをすることが求められる世界になったとする。

そうなってくると、家族以外のヒトの表情はマスク越しにしか読み取れない世界になるってことだ。

そして、ポイントとなるのが、俺たちオッサンは人の表情をマスク越しに読み取るなんて経験を積んできていない。
つまり、俺たちが経験してきた「相手の表情を読む」技術はこれから先はあまり役に立たなくなる可能性があるってことなんだよな。

どうも、この辺の事情は日本はまだ良いらしくて、欧米諸国のヒトにとってはこのマスクによって表情が読めないってのは更に顕著らしい。

日本語の特性上、英語に比べると口を動かす範囲が狭いので、口元での表情変化ってのが少ないらしい。
なので、もともと日本では目元で表情を読み取るって割合が多いんだそうだ。

その意味もあって日本ではマスクをすることに対する抵抗が少ないって話もあるらしい。

でも、これから先ずっとマスク越しにしか相手の表情を観測できないってのは今までにないコミュニケーション方法ってのが必要になってくる気もするよな。

食事をともにする事による仲間意識

マスクをする生活もそうだけれど、黙食という行為が求められる状況ってのも俺たちのコミュニケーションに多大な影響を及ぼしているよな。

ほんの数年前の食事系の動画とかを見ると、当たり前のように大声で居酒屋での飲み会を楽しんでいる風景とかが映し出されている。
今となっては本当に幻のような風景だ。

なんか今の雰囲気だと感染症が収まった後でも飲み会のあり方みたいなものは変わっていく気がするじゃんか。
前のように大口を開けて大笑いして、場合によっては肩を組んで歌い始めちゃうような光景がまた広げられるってちょっと想像できない。

多分だけれども前のように大勢で集まってワイのワイのってのは結構気持ち的な抵抗感を感じるヒトが増えているんじゃないかな。

だとすると、飲み会や食事でのコミュニケーションって言う結構重要なツールを俺たちは失ったことになるんだよな。

じゃあ、どうするのか?

多分だけれども、1対1での食事ってのの価値がこれからは上がってくるんだと思うんだ。
大勢で騒ぐのじゃなくて1対1をたくさんする感じ。

そのときにマスクをとって静かに相手の表情を見る。

これからはそう言う短時間での感情の読み合いって世界になるのかもな。

なあ、あんたはどう思う?

この新しい表情を読み取る世界に俺たちは対応していけるんだろうか?

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