「働く」ってなんだっけ?
あんたは子どもたちに「なんで働いているの?」って問いかけられたとしたらなんて答える?
「だって働かないとお給料もらえなくて困るでしょ?」とかシンプルに答えるかもしんないよな。
実際にはそんなことを子供から聞かれているわけじゃないんだけれども、ふとしたきっかけで、その答えを自分が持っていない状態ってのは、結構な問題なんじゃないかと思ったりしたんだよ。
今回は働くってことについて、ちょっと考えてみる回だ。
お金ってなんだべ?
ちっと一緒に考えてみようや。
給料をもらうための仕事の怖さ
そもそもこの「働く」ということに対する答えが「お金」だと何がまずいのか?
大抵のヒトは人生の大半をこの働くという行為に突っ込んでいく。
文字通り「働く」ことに命を捧げているわけだ。
何?大げさだって?
何が大げさなもんか。時間ってのは俺たちの命そのものなんだから。
だってそうだろう?
俺たちはいつかは死んじまうわけだ。こいつはお天道様がひっくり返っても間違いない。
それこそ銀河鉄道999の機械の体よろしく「永遠の命」なんてものを手に入れたとしても、そもそも宇宙そのものが永遠じゃないんだからいつかは無へと帰する。
しかも残り残高を把握することも節約することもできない命。そいつが時間だ。
そのどんだけ貴重かすらわからない時間を突っ込む「仕事」。
こいつが「お金」のためだけでしかないってのは、こいつはなにげに悲劇を超えた喜劇ってやつだ。
なんつってもお金は交換もできれば、取り戻すことも出来る。
不可逆的に失われ続ける時間とは価値が全然釣り合わないよな。
なので、「給料のために働いています」って答えしか俺たちが持っていないとすると、そいつはちっとした問題だと思うわけだ。
「お金」ってなんだっけ?
とは言えだよ。
先立つものがなけりゃなんとやら、ってよく聞くフレーズなわけで、お金を完全に無視して生きていくってのもなにげに難易度が高い。
良く信用経済って言葉を聞くじゃんか。
昔は金本位制って言って、世界中に存在できるお金の量は地球上に埋蔵されている金という特定の金属の総量が限界だった。
ところが、ニクソンショック以降、俺たちの世界で使われているお金ってのは「みんながそれだけの価値がある」って信じるだけでその価値を維持する世界になった。
逆に言えば、信用を失えばあっつー間になんの意味もない紙切れになるって世界観だ。
今の所、日本では日本政府(厳密には日本銀行ってことになるのか?)の信用に裏打ちされて日本円ってのは成立している。
まあ、言って見れば俺たちは収入って形で日本政府の信用ってやつのおこぼれを頂いているってわけだ。
「仕事」ってなんだっけ?
で、その日本政府の信用のおこぼれをゲットするためだけに俺たちは俺たちの命を削り取ってるんだっけ?
多分違う。っていうか、そんなん嫌だ。
じゃあ、俺たちはなんのために仕事をしているのか?
本質的には「楽しむため」に仕事をしている。
それが一つの答えなんじゃないか?
例えば、あんたが事務の仕事をしているとする。
その仕事をあんたが選んだときにその仕事を選んだ理由ってのがあったはずだ。
その理由は「自分にできそうだから」かもしれない。
でもそれは言葉を裏返せば「自分が褒めてもらえる可能性が大きいから」って言いかえることができるはずだ。
つまり、その場合であればあんたは「誰かに認められるって娯楽」を得るために仕事をしているってことになる。
それ以外にも「機械をいじるのが好き」とか「ヒトと話をするのが好き」とかあんたの職業選択には必ずなんらかの「好き」が含まれていたはずだ。
要するに俺たちは俺たちの「好き」を手に入れるために仕事をしている。
そして、その「好き」を手に入れるために俺たちは結構な量の「好きじゃない」ことをセットでやることになるってわけだ。
この「好き」「好きじゃない」バランスがあんたの中で納得いっているとすれば、その仕事はあんたの天職ってやつなんだろう。
でも変化の早い世界において、その仕事がいつまであるかわからない。
だからこそ、俺たちは俺たちの「好き」をどうやって実現するのかってやつを必死こいて考え続けなければならないってことなんだろうな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは俺たちの「好き」をつかんで離さないでいられると思うかい?
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