600日連続で投稿してみた
あんたも何かを続けていることってあるかい?
このnoteも今回で600日連続の投稿ってことになるらしい。
ふとしたきっかけで再開したnote投稿。
今や日々の習慣と化しているこの投稿って行為。
今回はシンプルにこの600日ってやつが自分にもたらしたものが何かを考えてみる回だ。
ちっとばかり、俺の軌跡を一緒に振り返ってみてくれよな。
連続投稿の最初の記事を振り返る
連続投稿が始まったのは2018/11/10のこの記事からだった。
当時、ニュースとして流れていたフッ化水素の輸出ストップという事態について書いた記事だ。
高純度のフッ化水素ってのは、半導体の加工において欠かすことの出来ない素材なんだけれども、その製造技術ってのが日本の一部の企業でしか出来ないもんなんだよね。
その当時、というか今もある意味そうなんだけれども、韓国は北朝鮮と融和路線をとっていて、北朝鮮は核開発をしている日本にとって非常に危険性が高い国だ。
その危険性の高い国に対して、支援をしている韓国にフッ化水素を流すことが国の安全保障を脅かすってんで、輸出がストップされたってニュースだ。
そう言う安全保障上の問題だったわけなんだけれど、それと同時に韓国と日本の間には別の問題が横たわっていた。
徴用工問題だね。
未だに解決を見ていないこの問題に対して、俺たち日本人はスゴイ感情的に捉えていたように記憶しているんだ。
フッ化水素の輸出停止もこの徴用工問題に対する報復と捉えていた日本人も結構いたように思う。
最初のnoteで俺はこんなふうに書いていた。
隣りにいる人が韓国人だろうが、アメリカ人だろうが、ベトナム人だろうが、そんな事関係なく、その人を見て、その人に感想を抱いていると思う。ところがそれが人ではなく国になった途端に俺たちは「敵」を感じちまう。これって何なんだろうな?
俺たちは群れを作ると、必ず敵を必要としちまうってことなのか?
集団の意思と個人の意思に乖離が起きることの違和感を強烈に感じていたんだよね。
note投稿を再開して変わったことと変わらないこと
こうして読み返してみると、文章の読みにくさみたいなものをちょっと感じるなあ。文体はあんまり変わっていないっぽいけれど。
単純に段落分けをしないで、つらつらと書いているもんだから、全体と知ってのっぺりとした印象の文章になっちゃっているのかな?
その意味では文章の読みやすさみたいなものはちょっと意識できるようになっているってことなのかもしれない。
偉い、俺。
#自己肯定感大事
逆に変わっていないところのほうが自分としては気になるね。
今も前も変わらないところ。
誰かのことを理屈なしで嫌がるヒトに対する嫌悪感っていうの?
その言葉自体が矛盾をはらんでいるとは思うんだけれども、そう言うことを自分は絶対にしたくないって思い。
そこは変わっていないんだよなぁ。
毎日続けられている理由
実際、なんで俺は毎日投稿なんてことを続けられているんだろう?
このnoteを書く理由は、単純にあんたと友だちになりたいからなわけなんだ。
実際、このnoteを通じてできたつながりってのも確かにあるしね。
そして、そのつながりが出来たヒト自身もすごいけれど、その先にもっとスゴイって思えるヒトがいたりする。
このヒトをスゴイって思えるのってすげぇ幸せなことだよな。
そして、そのスゴイヒトが俺の文章に反応してくれたりすると、コイツはもう至福の極みってやつだ。
まあ、体力的にいつまで続けられるかなんて分かりっこないんだけれども、それでもとりあえず続けていたいなぁって思うのは、スゴイ光景にこのnoteがつながっているって心のどこかで思っているからなのかもしれないな。
ネットの世界はどんどん情報を増やしていっている。
その中にあるホンのちっぽけなnote。
それでも、そのnoteは世界とつながっている。
なあ、あんたはどうだい?
あんたの続けていること、キッチリあんたの欲望につながっているかい?
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