息をするように自然に俺たちが出来ること
あんたは自分のことを分析したことがあるかい?
まあ、俺たちくらいのオッサンになると、今まで生きてきた期間の中で「将来どうやって生きていこうか」くらいのことを考える機会はいくらでもあるもんだよな。
学生時代に進路を考えたとき、就職をしたとき、配属されたとき、プロジェクトに参加したとき、プロジェクトがピンチになったとき、プロジェクトが完了したとき。
その各々の節目で俺たちは俺たちの「価値」って奴について考えるもんだよな。
今回は自己分析ってやつを振り返ってみて、改めて俺たちが自己分析をする意味ってやつを考えてみる回だ。
まあ、一緒に振り返ってみようぜ。
なぜいまさら自己分析なんてものをするのか
まあ、なんで今さら自己分析なんてするんだよって思うよな。
きっかけは、俺の親に今の世の中がどうなっているかってテーマで話をしていたときだ。
たまには孫を見せてやらないとなぁって感じで、ふらっと顔を出したときの会話だ。
俺たちオッサンの親の世代だからな。IT化の程度ってやつは家によっては、ほとんどされていないこともあるかもしれない。
我が親の家はパソコンがあり、ネットがつながっていて、携帯はスマホを使っている。
まあ、俺が実家に行ったときにはその辺のITまわりの総チェックを行くたびにやっていくハメにはなっているけどね。
で、この劇的にIT化が進んでいる今の世界観で、企業の規模が全体的にどうなっていくのかという話題になった。
自動車のディーラーに務めていた父は、自動車が売れなくなってきていることを気にしていた。
なぜ今自動車は売れなくなってきているのか。
父の分析は以下の点に集約されていた。
(1) 給料が頭打ちになっており、財布の紐が硬い
(2) 自動車以外の趣味が多様化している
(2)の要素について、その理由ってやつに思いを馳せると、以前に書いた記事でも触れていたとおり、インターネットによるニーズの細分化があると俺は思っている。
ニーズの細分化により、サービスの内容はより細分化されていくことになるって話な。
このニーズの細分化ってやつが俺たちの自己分析の必要性につながっていると思うわけさ。
なんでかって?
うん、もうちっと考えを進めていこう。
サービス内容の細分化に伴って起きること
その結果起きることは何か?
サービス提供者のミクロ化が起きると俺は考えている。
例えば、ミステリー小説が好きっていうニーズがあったとして、昔はミステリー好きってだけで、ミステリーの本棚に行けばいいってくらいのゆるいサービス展開だった。
ところが、今やミステリーの中でも、サイバーモノがいいのか、電車の時刻表のギミックが好きなのかなど、様々なサブカテゴリが深掘りされていっている。
そして、インターネットは、その細分化されたニーズに対して、答える手段を提供してくれる。検索エンジンだ。
検索エンジンによって、ニーズを持っている人自身で、ニーズに関わる検索を行う。
そのニーズを拾い上げて、WEBにページを用意しておくことで、そのニーズにアプローチが出来るようになっているというわけだ。
で、この細分化されたニーズに対して、全方位的に大企業がフォローするってのが現実的なんだろうか?
答えは否だ。
インターネットが世で活用される前は、同じものを大量生産することで経済が回っていた。だが、細分化されたニーズは大量生産では対応することは現実的な手段ではない。
そのため、大量生産による単価の引き下げというコスト圧縮が出来ない以上、大企業は別の方法を選択するより他は無い。
サービス提供に際して、大企業になるほど、コストカットできる部分と、コストアップする部分がある。
コストカット出来る部分は間接部門の集中化による効率化。また、下請けに対する受注機会提供への対価としてサービス単価の引き下げだ。
コストアップする部分は、労働単価が引き上げられるケースが多いため、自社社員が動けば動くほどコスト高になるという構造だ。
つまり、大企業は大きなサービス範囲を、下請けの細かなサービスの組み合わせで実現する。そのためのコーディネートおよび計画立案が大企業の付加価値となっていくわけだ。
そうなると大企業が直接サービスを提供するというケースはどんどん減っていくことになる。
あくまでマイクロサービスを組み合わせて一つのソリューションとして提供するってのが大企業の役割ってことになる。
ただ、このコーディネートってのにも限界がある。ニーズは絶えず変化し続けるので、この提供サービスも微妙なチューニングを常にかけながら提供していかなければならない。
このチューニングってやつの方向性を正確に見定めるのは至難の業だ。何しろニーズの形は一時も同じ形ではないのだから。
けっか、企業の提供サービス範囲も細かくなっていき、実態としてのマイクロサービス提供者が大きな意味を持ってくることになると俺は思うんだ。
となると、そのマイクロサービスを提供するのは誰になるのか?
それが「個人」だ。
企業側が直接企画出来ないようなニッチかつ細かいサービスの提供ってのが出来るのは、そのサービスを息をするが如くに自然に行える個人が提供するってわけだ。
例えば、3歳児の食生活における食育というテーマの中で、3歳児への語りかけのやり方に特化したスキルを持っているお母さんがいたとするよな?
このスキルそのものは3歳児の子育てを直近で経験した人なら、多くの現役3歳児のお母さんに的確なアドバイスが出来る人は多いんだろう。
だが、そのスキルを持っていて、かつ○○区△△に住んでいる人って限定したらどうだ?
また、シングルマザーでその経験を積んでいる人って言ったらどうだ?
実際にニッチになればなるほど、ニーズとマッチしたときの効果は計り知れない。
でも、企業にはそんなニッチなサービスラインナップをいつでも対応出来るように身構えておくことはコスト的に不可能だ。
だから、必要になるわけさ。俺たちの「息をするように自然に提供できるサービスが何か」って事実認識がね。
俺たちが俺たちに出来ることをリアルタイムに正確に把握できれば、そのサービスを欲する場所に対してアプローチすることが出来るようになる。
そのために必要なものは何なのか?
それが自己分析なんじゃないだろうか?
我々は何者か?
我々はどこに行くのか?
そんなポール・ゴーギャンの作品が今のこの世界になって別の意味を持ち始めているのかもしれないな。
なあ、あんたはどうだい?
あんたは誰をどうやって幸せにできそうだい?
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