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「熱」と「覚悟」

あんたは今でも誰かが言っていることで、ショックを受けることってあるかい?

久しぶりに、俺はショックを受けた。

その言葉は「熱を持っていないヒトはもうどうしようもない」。

なあ、この言葉。なんてナイフのような鋭さを持っているんだろう。
まるで俺たちの日々の過ごし方をえぐっているような言葉のように感じたんだよな。

今回は、このえぐられた感覚についてできるだけ考えてみようとする回だ。

俺たちは熱を失ってしまっているんだろうか?

ショックを与えてくれたnote

今回、俺にショックを与えてくれたnoteがこちらだ。

高士幸樹さんはあの西野亮廣さんの手掛ける社会実験であるSHIBUYA FREE COFFEEで最初にコーヒーを俺たちに奢ってくれたヒトだ。

意味がわからないって?

詳しくはこのnoteを読んでくれるといいかな。

要するに、1万円払って50人にコーヒーをおごる権利を獲るってビジネスモデルを実験しているってやつだ。

そういう一見意味のわからないことに「面白い」って飛び込んでいけるのが高士幸樹さんって人物だ。

で、その高士さんがメモの魔力でおなじみの前田裕二さんと編集者として有名な箕輪厚介さんのトークショウを見に行ったそうだ。

その中で出てきた言葉。
それが「熱がない人は、もうどうにもならない」だ。

この言葉は高士さんがトークショウの質疑応答の際に問いかけた質問に対する答の中に散りばめられた言葉の一部だ。

詳細は高士さんのnoteを読んでみてもらいたいが、俺をひっぱたいてくれたのが「熱がない人」って言葉だ。

俺たちの中にあった熱

この言葉。「熱がない人」が与えてくれる気づきってのは、なかなかにインパクトが有る。

なぜなら、俺自身が俺がかつて持っていた「熱」を失っていると思うからだ。

「熱」ってなんだろう?

より良い自分になろうとする「熱」。
何かを変えたいと思う「熱」。
幸せを感じていたいという「熱」。

そのいずれもが俺にかつてあったと思う。
でもそのいずれもが今の俺からは俺自身が感じられない。

いや、より良い自分にはなりたいし、変えたいものもいくらでもある。
幸せになりたいって思っているのは間違いない。

でも、そこに「熱」は無い。

あるのはただひたすらに目標に向かっていくという覚悟だけ。

情熱ではなく「覚悟」で物事に対していっている。
そんな感じだな。

「熱」と「覚悟」

「熱」が高揚感をもって物事に対しているのに対して「覚悟」は絶望感とともにある。

届きはしない夢を追い求める覚悟って感じかもしれない。

俺たちくらいのオッサンになると、結構多くのことを諦めているってことなのかもしれない。

より良い自分になりたいと思いながら、そんなものにはなれないってどこかで達観している。
でもより良い自分を目指すことを止めたら、自分がだめになることを知っているから、目指すことは止めない。

結果としてかなわない夢を追い続けているって状態だけが残る。

そうなると、夢はかなわないって思っていながら夢を追い続けているわけだから、当然「熱」は失われる。

そんな状態が今の俺の状態なのかもしれない。

そんな状態の中、「熱がない人は、もうどうにもならない」と言う言葉が俺の前に現れた。

ああ、そうか。もうどうにもならないんだ。
俺自身がかなわないと理解していることを外からの言葉で追認してもらった感じだ。

俺たちの中にかつてはあった「熱」。

その「熱」はまるで根拠のない未来への希望に裏打ちされていた。

未来はきっと良くなる。
未来は自分のあがきの向こうにある。

その根拠のない確信。

ところが今はその確信はどこかに行ってしまったようだ。
多くの事柄がどうしようもなくうまく行かないことを証明してしまっている。

そのなかで出会った言葉。「熱がない人は、もうどうにもならない」。

この言葉は俺にとっての福音なんだろうか?

それとも裁判の判決のような俺を規定する言葉なんだろうか?

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは、この「熱」を取り戻しに行くべきなんだろうか?

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