子供たちのケンカは必要なもの
あんたのところには子供がいるかい?
俺んちは一人息子なんだが、これがまた俺に似て人間関係が得意な方じゃない。
ことあるごとに仏頂面下げて帰ってくる。
まあ、小学1年生なんてそんなもんだとは思うんだがな。
それよりも気になるのが、周りの大人達の反応だ。
今回は、社会全体が「事なかれ主義」に流されすぎちゃいないか?って話だ。
ちょっと付き合ってくれよな。
子供を取り巻く大人たち
俺たちの頃は学童保育なんて、テキトーに行ってテキトーに帰ってくもんだったと思うんだよな。
ちなみに俺が行っていたのはこばとホーム。なんとも牧歌的なネーミングだよな。
でも最近は、学童ノートなるものがあって、そこにいつ帰える予定か書かないと行けないルールになっている。もし書いてないと連絡先に登録されている電話に確認電話がかかってくるという念の入れようだ。
で、うちの一人息子が珍しく土曜日に学童保育に行って友だちと遊びたいってんで、学童に送り迎えしてやった。
※学童保育に送り迎えとか、俺たちのときは考えられないことだったよな?兄弟
で、約束の時間に迎えに行くと例によって息子が仏頂面下げてぶーたれながらくるわけだ。
今回話したいのはこっからな。
その仏頂面の俺の息子の横で学童保育のスタッフのかたが仏頂面の顛末を説明し始めた。
せっかくお話してくれるんだからありがたく拝聴したが、これってよ?なんつーか過保護が過ぎないか?
子供たちのコミュニケーション
子供同士のいざこざなんてもんは、子供同士に解決させないと、なんかケンカしたら大人が割って入ってくれるなんて、間違った育ち方する気がするんだが、俺だけか?
確かになんかトラブルが合って、それが学童保育で起きたんなら、その学童保育に責任問題が発生するから大人は対応せざるを得ないって理屈はわかる。
少額とは言え、利用料金が発生している仕事だしな。
でも、それと子供のケンカに大人が介入するってのは別問題。
本質的に子供のケンカは子供同士に解決させるようにしないと、自分でトラブルを解決するコミュニケーション能力を鍛える機会を失ってしまうと思わないか?
まあ、だったら学童保育なんぞに預けないで普通に友達と遊びに行かせろよって話だが、世知辛い話で、いまじゃ休日に学校の校庭で自由に遊ぶことも出来ないんだぜ?
BOPなる仕組みがあって、詳しくは割愛するが、要するに休日の学校の校庭で遊ぶにしても大人の目を通さないと行けないって仕組みだ。
なんつーか監視社会ここに極まれり。子供が子供の世界で純粋にコミュニケーションすることが今の社会では難しいって状態だ。
親が子供のストレスを許容する勇気
どうしてこうなった?
まあ、例によってインターネットによってすべての人々が発信者になれる世界ってのが相互監視社会につながったってのはわかる。
だけどよ?それで子供たちがまっとうにトラブルに対処することも出来ないポンコツになるのは困るわけよ。
だったらどうするのか?
まずは俺たち親が子供のケンカに徹底して介入しないってのが重要だよな。
究極、ケンカで耳ぐらいちぎれても普通だったじゃんか?俺たちの頃なんて。
で、そのことを子供たちの周りの大人達と共有できるような信頼関係を作り上げる。
子供たちにはストレスを経験してもらわないとまともに育たないってことを俺たち親は理解したほうが良い。
あんたはどう思う?
子供たちは立派な大人になる権利があると思わないか?
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