オンラインサロンは宗教か
あんたも誰かのことを好きかい?
この好みの細分化が極限にまでされている世の中で、ワリカシ普通に使われている言葉がある。
信者だ。
誰かのキャラクターなり行動なりが好きで、そのヒトのやることを「盲目的に」みとめつつオススメするってヒトの総称って感じかね。
アイドルグループの誰それが好きって言うのとはちょっと違う感じでその言葉は使われている気がする。
でもその違いってなんなのかって問われたら、あんたは答えることができるかい?
今回は信者って言葉について考えてみる回だ。
俺たちがこの言葉で何をどうしようとしているのか、一緒に考えてみてくれよな。
信者って言葉が使われる文脈
本来だったら信者って言葉って崇高なもんだと思うんだよ。
何つっても俺たちヒトという生き物が作り上げたものの中で宗教ってのは最も大きい存在の一つだもんな。
宗教の教えによって俺たちはモラルって価値観を手に入れているわけだもんな。
ところが同時に宗教ってやつは多くの悲劇を生み出してきたってのも事実だ。
特に一神教が与える排他的な価値観は多くの異教徒を悪と断じて迫害してきた。十字軍みたいにね。
俺たち日本人の多くは無宗教みたいに言われることが多いけれども、俺の感覚では神道を前提とした宗教観ってのを多くの日本人がベースにしているって思うんだよね。
八百万の神ってやつだ。
この八百万の神ってやつは特定のカミを信奉するってよりは、すべてのものにはありがたい何かが宿っているって感覚なので、一神教のように何かが絶対的に正しいってものとは感覚がずれていると思うんだよ。
でだ。
信者って言葉は主にこの一神教の感覚で使われていると思うんだよね。
多神教を感覚の前提にしている日本においては信者って肩書を得たヒトは異物ってやつになるわけだ。
なので、ネットをちょっとさぐってみても、信者って言葉が肯定的な文脈で使われることってほとんどない。
それだけ、俺たちにとって何か一つのものにすがるってことに対する拒否感があるってことだ。
オンラインサロンは一神教なのか
で、その何かにすがるって状態とオンラインサロンのような誰かの個性に個人がお金を払うって仕組みとに共通するものを感じているヒトがいるってのも想像に難くない。
まあ、アイドルのファンクラブと何が違うんだって言われるとうまい言葉が浮かばないんだけれども、アイドルがその「アイドル性」でヒトを集めているのに対して、オンラインサロンって「言葉」でヒトを集めているって感じがあると思うんだ。
言い換えればその中心にいるヒトの意思って言っても良いかもしれない。
入ったことないから想像でしかないけれども、SixTONESのファンクラブに入るヒトってSixTONESのメンバーが言っていることに「すげぇな」って思って入るんじゃなくて、SixTONESのメンバーのキラキラにより触れていたいから入るんだもんな。
でもオンラインサロンはその主催しているヒトの意見に刺激されて入るってヒトが多いと思うんだよ。
その意見だったり主張だったりの魅力に魅せられて月々のお金を払うってわけだ。
で、その行為はいわゆる宗教のお布施のように外から見ると見える。
当の本人にとっては、その意見や主張に触れるための正当な対価だって思っていたとしてもね。
でも本を買ったりDVDやBlu-rayを買ったりしても「信者」とは言われない。
同じように意見や主張に魅せられて買っているものなんだけれどね。
意見や主張を作品って仲介物を挟むことで「ヒトが意見や主張を発信している」って色を薄くしているからってことなのかもしれないね。
で、オンラインサロンは宗教なのか?
wikipedia先生によれば宗教ってのは「人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のこと」らしい。
オンラインサロンに教義ってあるんだろうか?
多分ない。
オンラインサロンを運営しているヒトの魅力が言葉にあったとしても、その魅力って教義ってほど体系化されてない。
そう言う意味ではオンラインサロンは宗教というほど、整理されてはいないってことなのかもしれない。
でもそんな言葉の意味を振り返るまでもなく、宗教って言葉も信者って言葉も否定的な文脈でつづられ続けている。
誰かに共感する時、その他の誰かに共感するヒトを俺たちは本質的に恐れているってことなのかもしれないな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはどうやれば「誰かと違う」って価値観を共有できるんだろうな?
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