ルンバに感謝
あんたも、なにかに感謝すること、あるよな?
この間、我が家の10年選手であるルンバがどうにも調子が悪いってんで、色々と調べてみた。
結局は電池がヘタっているってんで、新しい電池に交換したんだが、その時に改めて感じたことがあったんだよね。
今回は、その時の感情に着目しながら、俺たち日本人の感覚ってやつについて考えてみる回だ。
まあ、あれだ。俺たちの生活の至るところにある感情のかけらについて考えてみようぜ。
調子が悪いルンバ
ルンバ、便利だよな。
適当に設定しておけば、自動的にそれこそ知らぬ間に掃除をしてくれる。
我が家のような共働きの世帯も、お年寄りの世帯も、なんなら仕事にプライベートとてんてこ舞いな若者の世帯にもルンバのような自動でお掃除してくれる仕組みってのはありがたいもんだ。
そして、便利だからこそ調子が悪いとそこに生まれる不満ってやつは結構大きい。
「なんできちんと働いてくれないのよ!」
なんて、機械に理不尽な感情なんつーモンも出てきてしまう。
このあたりは自動的に動く機械の宿命みたいなもんなのかもしれないよな。
なまじ自動的に動くもんだから、自発的な意思を持っているものとして扱ってしまう。
まあ、その自由意思なんてものは俺たちヒトが作り出した虚構に過ぎないとしても、その虚構に従って生きているのが俺たちヒトってもんだからな。
ルンバを調べてみた時に思ったこと
で、その調子の悪いルンバを調べてみた。
まあ、ホコリまみれ。ありとあらゆる部品が限界を迎えている様がまざまざと見ることが出来た。
ブラシは糸くずが絡まってなかなか取れない状態。
かき込むための回転ブラシも毛がまばらになっているような状態。
あらゆるところに入り込んだホコリが日々の奮闘っぷりを伝えてくれているようだった。
出来る限りホコリを取り除いていく時に、何とも言えない感謝の念ってやつが湧き上がってくる。
結局は電池がヘタっているってんで、新しい電池に交換してみた。
電池を交換し終えて、晴れてルンバが動き出す。
その時の家族の反応がすごく印象的だったんだ。
「わあ、動いた!」
「良かったね!ルンバちゃん」
ああ、そうか。
ルンバはもう、家族なんだな。
これからのAI社会で起きること
AIが発展してきた今という時代。
そこには今まで以上に機械とか仕組みとかに対して感情移入する機会が増えるんだと思うんだよね。
究極、俺のことを誰よりも知っているのは誰か?
俺自身よりも、家族よりも、俺のことを知っているのは誰か?
そいつはGoogleでありFacebookだ。
俺たちが日々の活動をインターネットとともに居ることによって、俺たちの行動を誰よりも見つめているGoogleとFacebook。
どこかで読んだんだが、あんたがもしFacebookで「いいね」を300回も押しているとすると、あんたの好みの服装やら食事やらについて、Facebookはあんたと一緒に暮らしている家族よりも正確に予想できるそうだ。
そんなふうに、俺たちは仕組みによって気遣われる時代になってきている。
俺たちに対して誰よりも興味を持ってくれているのは、ヒトではなく仕組みだってことだ。
そのことに空虚さを覚えるっていうあんたの感覚は分かる。
でもさ、考えてもみようよ。
生物化学的に考えると、俺たちヒトも他の動物も、等しく自由意志なんてものは持っていないってのが定説らしいぜ?
だとすれば、俺たちヒトはもっと色んなものに感謝してみるってのが幸せを感じるための方法の一つ何じゃなかろうか?
Google、教えてくれてありがとう。
Facebook、昔の友人を教えてくれてありがとう。
ルンバ、今日もお掃除してくれてありがとう。
ありがとう。
その言葉は、感謝する相手のための言葉ってだけじゃない。
俺たち自身を救ってくれる言葉なんだと思うんだよね。
その言葉をヒト以外の動物や機械に向けたとしても、それは別に悪いことじゃないんじゃないかな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちヒトとそれ以外の境界線ってやつは、どんどん曖昧になってきているようだぜ?
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