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「志村けん」という「タレント」

志村けんさんが亡くなった。

これほどの喪失感はなかなかない。俺たちオッサン世代にとって志村けんというブランドは失うということを想像することすらなかったものだ。

それでも、ヒトはいつか死ぬ。
それがどれだけ求められて、どれだけ必要とされていようともそんなことは一切関係ない。

そんなヒトの思いを世界は汲み取ってはくれない。

当たり前のことだとは思うけれど、それでも俺たちは思っちまう。
もう「志村けん」を見ることはかなわないんだってさ。

今回は、志村けんさんにひたすらに思いを寄せていく回だ。

なあ、ホント。なぜ俺たちは「志村けん」を失わなければならなかったんだろうな?

志村~!後ろ後ろ!

俺たちオッサン世代は子供の頃、「8時だよ全員集合」というバケモノ番組で育った。

どのくらいバケモノかって?
平均視聴率27.3%、最高視聴率50.5%だってんだぞ?
平均で、4人いたら1人は見ていたんだぞ。
バケモノ以外の何物でもない。

ちなみに北京オリンピックの最高視聴率だって、47.7%。オリンピックより注目されているお笑い番組なんて、今想像できるか?

番組の構成のメインを司っているコント。
このコントに俺たちお子様はめちゃめちゃ魅入られた。

「おいーっす!」といういかりや長介さんの掛け声から始まって、高木ブーさんのオトボケ、仲本工事さんの体操、加藤茶さんのボケ、そして志村けんさんの大ボケ。

その全てが俺たちを魅了していった。

テレビに向かって「志村!後ろ後ろ!!」って何度声を張り上げたことだろう?

毎週土曜日の午後8時は、俺たち小学生の聖なる時間だった。
そのコントの面白さを週明けの月曜日に語り合うのが定番だった。

志村けんという「異物」

そんな志村けんさんも最初は大変だったと思うんだよ。

なんにせよ、その当時人気絶頂だったコントグループの一人である荒井注さんがグループを抜けて、その代わりのメンバーとして入ってきたんだもんよ。

今だったら、あれか?ダウンタウンの浜ちゃんが抜けて代わりのメンバーがヒョイって入ってきた感じになるのかな?
いやぁ、ありえないよな。

そのありえない状況をひっくり返すように志村けんさんは活躍をする。

俺たちがまともにドリフターズを認識していた頃には、すっかり中心メンバーになっていたもんな。
今更ながらにいかりや長介という人物の采配には頭が下がる。
こんなアクロバティックな人事起用は考えついても、やれるもんじゃないよな。

これは想像に過ぎないんだけれど、当時の志村けんさんへのプレッシャーってシャレにならない物があったんだと思う。

そのプレッシャーを糧に変えるように東村山音頭だったり、カラスの歌だったり、最初はグーだったりと、俺たちが当たり前に知っている日常のちょっとしたオモロイを作り上げていった。

当時の俺たちお子様はそんなことなんて想像もしない。
ただただ目の前に展開されるオモロイを堪能していった。
その結果として志村けんさんは唯一無二の存在としてお茶の間を席巻していった。

「志村けん」という存在

全員集合が終わったあとも、「志村けん」という存在は俺たちの傍らにあり続けた。

本当に当たり前のように俺たちのエンタメの世界にい続けてくれた。
それは空気のような存在であり、代わりの効くものでもない。
まさに「タレント」だ。

志村けんさんの死は、そんな当たり前のエンタメがいつかはいなくなってしまうことを強烈にイメージさせる。
ビートたけしさんも所ジョージさんもタモリさんも永遠に生きているわけじゃない。
俺たちの当たり前のエンタメは、彼らの圧倒的な存在感に依存しているってわけだ。

西野亮廣さんは、自分がいなくなったあとにも継続的に提供されるエンタメを目指していると言った。
志村けんさんというタレントを失った今、その言葉が結構な重みをもって俺の中にこだましている。

志村けんさんは「志村けん」の後継者を育てはしなかった。ある意味でその判断は真っ当だ。本来、タレントってそう言うものだもんね。

その結果、俺たちは「志村けん」を永遠に失った。
これからも俺たちは何かを失い続けるんだろう。

今はただ祈る。
あの世があったとして、あの世でも「志村けん」であり続けますように。

そんな呪いのような祈りを俺たちはしてしまう。
それが「タレント」ってことなのかもしれないね。

なあ、あんたはどう感じる?

志村けんさんは幸せだったんだろうか?


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