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愛情と表現と

あんたはセクシャルハラスメントってのを目にしたり被害にあってしまったりなんてことがあるかい?

「幸いにも」ってのが表現としてあっているのかってもあるが、俺自身は目にしたことも、被害にあったことも、加害者になったこともない。

そもそもおっかねえんだよな。

セクシャルハラスメントって存在そのものが。
それが存在するって事そのものが。

まあ、大体は男性側が加害者になるもんだと感じてはいるんだけれど、女性が加害者になるケースも有るって聞くこともある。

LGBTQのことまで踏まえれば、更にパターンは増えるだろう。

今回はセクシャルハラスメントって課題について考えてみる回だ。

ちっと、このおっかねえ話を考えてみようぜ。


社会でのセクシャルハラスメント

今回のことを考えるキッカケはこの記事からもらったんだ。

実に刺激的な記事をいつもくれる伊藤ぱこさんの記事だね。

もしあんたが伊藤ぱこさんの記事を読んだこと無いなら、まあ読んでみてよ。
たぶん損はない。

で、この記事の中で社会での課題の一つにセクシャルハラスメントを取り上げているんだ。
特に会社の中でのね。

会社ってのは実に難しくって、無ければめちゃくちゃ困るし、属していれば人間関係でいろんな軋轢が生まれる。
その軋轢の一つの形態がセクシャルハラスメントってわけだ。

伊藤ぱこさんの記事では主に被害者の立場でのセクシャルハラスメントってのを語ってくれている。
いや、こりゃ恐怖だよな。
会社での立場を利用した性的な搾取。

そんな言葉で書いた瞬間に誰かを悪者にしちまうやつだ。

家族愛ってどうすれば成立するのか

と、書いておいてだ。

そもそも何を持ってセクシャルハラスメントなんだ?って考えてみる。

要するに双方の合意が得られていない状態での性的行為ってことなんだよな。

男女ってだけでも複雑なのにLGBTQまで考慮に入れ始めるとめちゃくちゃ複雑な話になってくるよな。

今の日本では結婚ってのは男女間によってのみ成立するって法体系になっている。

同性間では成立しないってのが現状だよな。

ところがだ。
この結婚と言う契約はだ。

どっちかというと、そういう法律でどうのこうのってよりか、感情としての意味合いがでかい話だよな。

そこにはLGBTQがどうのこうのって話を超えた何かがある。
もしかしたらそれは「恋愛感情」って言葉になるのかもしれない。

そして、家族ってものを考えると、必ずしも恋愛を経由して成立するとは限らない。

俺もお見合い結婚なんで、世間一般的な「恋愛」を経由しないで「家族愛」に至っているって感じだ。

でもそれって一般的な「家族愛」にたどり着くための手段なんだろうか?
家族ってのも自分と自分以外のヒトがいて成立する関係性である以上は、どうしたってコミュニケーションの軋轢ってのは生じる。

その軋轢を超えて(あるいは超えたように納得して)家族って形態にたどりつく。

この軋轢ってのはヒトとヒトが関わる以上は避けて通れない。
それがハラスメントというラベリングをされた状況で認識されているってことかもしれない。

それってさ。悲劇じゃね?

まあ、それこそ俺の思い込みってやつかも知らんけれどね。

ハラスメントと言う状態

そもそもだ。
ハラスメントと言う状態ってのは「被害者」が不快だと主張することで成立する状態ではある。

伊藤ぱこさんの書いてくれている、スカートの中に手を入れてくるとか本人同士の合意がない状態では論外なんだが、例えばだよ。
「今日、飲みに行くか」ってサシ飲みみたいなのを誘われたとするじゃんか。

それだけで「被害を受けた」って思うヒトも結構いると思うんだよな。

ぶっちゃけ、その誘いをするってことそのものが勇気の塊なんだよな。
恋愛感情を伴っていようがいまいがね。

勇気を振り絞った結果として「加害者」になっちまうってわけだ。

こいつは実に悲しいやつだ。
これさ、たぶん立場の違いだとか、年齢の違いによっても生じる悲劇だよな。

だとすれば、有能なヒトがだ。
そのヒトが出世するほど出世していないヒトとのコミュニケーションを積極的に取れないようになるし、なんならただ年齢を重ねるだけで若いヒトとのコミュニケーションを取りにくくなるってこったろ?

そんなん拷問みたいなもんじゃんか。

仲間への愛情って感情がハラスメントになっちまうってことだもんな。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちが感じている「愛情」はどう表現していけば良いんだろうな?

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