情報流通の地方格差と子供たち
あんたは子供たちがこれからの時代を生き残っていくために何が必要だと思う?
俺たちが子供の頃に過ごしていた環境と今の環境は目に見えて違っている。何しろ飛び交う情報の量が洒落にならないくらいに多くなっている。
子供たちはその情報の洪水の中で生き残っていく必要があるんだが、一体何をしていく必要があるのか?
今回は今という時代と切り離して考えることが出来ないもの、すなわち『情報』について考えてみようって回だ。
子供たちだけではなくて、俺たち自身にも関わる話だと思うんだ。一緒に考えてみようや。
情報流通の地方格差
今回、俺が情報について考えてみたくなったきっかけをくれたnoteがこのnoteだ。
池松潤さんは広告会社勤務を経てリタイア後に福岡に移住されたらしい。
福岡に移住されたことによって改めて感じる地方格差ってやつがあったらしいんだ。
このnoteではその感覚をデータに落とし込むことで実態としての地方格差があることを気づかせてくれる良いnoteだと思う。
そのなかでピックアップされていたこのグラフを見てほしい。
出典:https://about.yahoo.co.jp/info/bigdata/special/2016/01/
このグラフは東京に住んでいるヒトが年間に検索する量を100としたときの各地方の検索数をグラフにしたものだ。
こいつを見てみると、東京が圧倒的に「検索」をしているってことがわかる。
大阪ですら60%そこそこの検索しかしていない。鹿児島に至っては30%下回っている。
そもそも情報に対する感度がこれだけの差として現れているってことだ。
東京の隣の千葉、埼玉、神奈川ですら50%そこそこ。
少なくとも今の情報化社会において、東京という都市がいかに特殊な場所なのかがよく分かるグラフだと思うんだよね。
つまり、俺がいつも感じている情報流通量の拡大ってやつが、実は時代の変遷だけではなくて、住む場所の変遷にも関わっていたってことだ。
まさに「東京は別の国」って言葉は言い得て妙な感じがするよな。
子供たちの社会を広げる
そんな東京という場所に我が家はある。
そして、我が家には一人息子が居る。
彼は生まれたときから東京で育ち、生まれたときからインターネットが普及して、テレビ番組を楽しむことを覚える前に、オンデマンドのコンテンツサービスが身の回りにあった。
テレビ番組を見る代わりにYou Tubeを見て、俺たちが知ることすらなかったゲームの動画を見て楽しんでいたりする。
今の所、息子は圧倒的な情報消費者だ。
大量の情報に触れてはいるが、情報を処理してコンテンツとして誰かに届けるようなアウトプットは一切していない。
実際SNSを小さな子供の頃から嗜ませるというのに抵抗感はある。
なにしろ、ネット上にはありとあらゆる人々がある週の匿名性をもって過ごしているし、Twitterなどの特定のSNSでは、むき出しの正義感で「過ち」を修正しにかかってくる人々も一定数いる。
そんなむき出しの正義感なり悪意なりに小さな子供が与える影響は計り知れない。
俺たち大人はそんなものをやり過ごすすべを身に着けているから大丈夫かもしれないが、より感受性の強い子供は、そんな情報に触れることで「ダメージ」を受けてしまうんではないか。
そう思っちまうんだよな。
でも、それ以上に情報を発信することの意味ってやつはあると思う。
なぜなら、学校という閉鎖された人間関係以外にもコミュニティというのは無限にあるってことを実感できるからだ。
よく話題になるイジメやスクールカーストのようなものは、そのいずれもが閉鎖された人間関係の上に自然発生的に生じるもんだもんな。
そりゃそうだ。学校って場所は、気が合う仲間が集う場所でも、同じ目的を共有している奴らの集まりでもない。
公立学校なら、「ただ同じ場所に住んでいる」ってだけの関係性で集められた集団だ。
そりゃあ、気が合わないやつも出てくるってもんだ。
でもネット上でのコミュニティは違う。
気の合わない人々とつながらない生き方。
ネット社会ではそう言う自由が成立しうる。
そんな社会を子供たちは活用していく必要があると思わないか?
なあ、あんたはどう思う?
子供たちが情報発信をすることを親はどうやってフォローしていけばいいんだろう?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?