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出来るまでやるための夢

あんたはなにかに向かって進んでいるって感覚を持てているかい?

こんなnoteを読ませてもらったんだ。

真木さんはダイビングショップを経営されながら、そのダイビング中に撮影した写真を病院に飾る「ホスピタルアート」と言う活動をなさっている御仁だ。
撮られた写真をちょいちょい紹介してくれるんだけれど、たしかに癒やされる感じがあるんだよな。
海って偉大だなぁ。

で、その真木さんが本田圭佑さんの言葉に感じるものがあったってことを上のnoteで教えてくれている。

要約すると「出来るまでやれよ」ってことかな?

確かにその通りだと思いながら、自分に当てはめて考えてみる。

あれ?俺何に向かって進んでるんだっけ?

今回は夢ってやつについて考える回だ。

夢を持つってことの意味や難しさ。一度整理してみようぜ。


SNS上に繰り広げられている夢

ここ、noteでもそうだし、facebookでもそうだけれど、なんか夢とか目標に向かってひたすら頑張っている姿が表現されているじゃん。

真木さんのホスピタルアートもそうだし、他のヒトもいろんなイベントを企画したり、ひたすらにヒトと会って何かを得ようとしているヒトもいる。

「生きろ。そなたは美しい」
©もののけ姫

まさにそんな言葉を感じさせてくれるわけだ。

彼ら彼女らはどうやってその夢を手に入れたんだろう?

思うに、自分を晒している環境なんだろうな。
最初のきっかけとしてはもしかしたら受動的なものだったのかもしれない。

ただ、そのきっかけをもとに見えた世界を冒険してみたいって思えたんだろうな。
そう思えたら、見えた世界に手を突っ込み足を突っ込み自分の全存在をその世界に投じていく。

なんつーんだ。そういうヒトのこと。

たぶん、勇者っていうんだよな。

俺の夢

じゃあ、オマイはどうなんだって話になるわけだが、残念ながら胸を張って「I have a dream!」とは言えないわけだ。

いや、例えば「本を出版してみたいなぁ」とかは思うことはあるけれど、それって夢じゃなくて本来は手段じゃん。
何か伝えたいことが有って、それをいっぱいのヒトに伝えるための手段じゃんか。

で、俺が伝えたいことってなんだってことになる。

日々、noteを書いているけれど、テーマがバラバラすぎて、オマイは何が言いたいんだってあんたは思うかもしれない。

俺もそう思う。
あえて言うなら俺がオモロイって思うことを表現しようとはしている。

ただなぁ。それも手段だよな。
何のために?

俺はさ。
あんたと友達になりたいんだと思う。

それを夢と言って良いのかってのはあるんだけれどね。

プロジェクト型の組織で夢を持てるか

で、そう言う俺の欲望を世の中の価値につなげていく必要があるわけだけれども、現実的には世の中に価値を提供する手段って仕事なんだよな。

俺の場合はシステム屋なので、基本は何かしらのプロジェクトをこなしていくことになる。

プロジェクトってのは必ず「終わり」がくるんだよね。
PMBOKって言うプロジェクトマネジメントの聖典みたいなドキュメント群でいの一番にその「終わり」に向けての活動がプロジェクトだって定義されているんだよね。

まあ、当たり前だけれども「終わり」ってのは義務なんだよな。
「やらなければならない」ことが自分の欲望につながっているならば、夢に向かって進んでいるって言っていいと思う。

真木さんのダイビングにしろホスピタルアートにしろ、確実に真木さんの夢に向かう活動だと思うんだ。
勝手に真木さんの欲望を言語化してみようとすると、きっと「海という存在から感動をシェアすることで幸せを広げたい」って感じじゃん。

じゃあ俺は?
俺がこなしているプロジェクトは顧客のニーズってのが入口であって、俺の欲望ではない。

そうか。
俺は仕事で夢に向かって進むことは出来ていないってのが現状ってわけだ。

なあ、あんたはどうだい?

あんたは夢を持って進んでいるかい?

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