見出し画像

プレゼントしたい気持ちがつなぐもの

あんたの周りで、最近「スゲー」ってことって起きているかい?

俺たちオッサンにとっては日常ってやつは、トラブルが起きることはあってもワクワクすることってのはなかなか起きない。

なので、俺たちは常に刺激を求めているようなところあるよな。

そんな感じでニュースを見たり、街をぶらついたりするわけだが、俺の低めのアンテナにとあるブログ記事が飛び込んできた。

その中で紹介されていたことの戦略性ってやつに、すっかりワクワクさせられちまったんだよね。

今回は、その戦略について自分なりに整理をしようとしてみる回だ。

なあ、あんたも一緒にワクワクしようぜ。

仕掛け人は「あの」西野亮廣さん

今回の仕掛けは今や時代の寵児と言っても過言ではない西野亮廣さんだ。

堀江貴文さんやら田中修治さん、それに中田敦彦さんに前田裕二さん。
この辺の人たちのやることを見ていると、AIが仕事を奪っていく世の中でも絶対に生き残る人たちだって確信するよな。

で、今回のブログ記事がこちらだ。

コーヒー??
絵本の話じゃないのか?

まあ、そう思うよな。でもこのコーヒーと絵本。戦略的に同じ思想でつながっているんだよ。

一個っつ整理していってみよう。

西野亮廣さんが絵本を選択した理由

まず、西野亮廣さんはなんで絵本という媒体を選択したのかってことからだよな。

出版業界が斜陽産業と言われ続けて、もううん十年。
デビューからテレビという華やかしい舞台で活躍していたキングコング。

その卓越したトーク能力で看板番組である「はねるのトびら」ではすんごい視聴率を叩き出していたらしい。

そんなヒトがなんで絵本作家になってその活動を続けているのか。

まずテレビを主戦場にしなくなったのはなぜか。
それは誰かがひいた線路の上を歩んでいかないとならないという制約が大きなデメリットとして西野さんに写ったからだと思う。

誰かのひいた線路の先にあるのは、その線路を引いた本人の先ではない。
つまり、誰かの線路の先にはナンバーワンはないんだ。

いくらその線路にのっていてもビートたけしにはなれないし、明石家さんまにもなれない。

そして、テレビ出演という自分の時間を使って売上を上げるしか無いので、事業のレバレッジが全く効かない

では事業のレバレッジを効かせるにはどうすればいいのか?
そこはやっぱり情報だ。
今の世の中情報を制するものが勝者だ。

でも、Googleのような企業を今から個人の活動の延長でできるわけもない。
そこでシンプルに出版という方法を選択したのが最初なのかもしれないとなんとなく想像している。※想像かよ!

で、出版の中でなんで絵本なのか。

そこでポイントになるのが絵本ってものの特殊性だ。

絵本って、あんたはいつ買う?
きっとあんたが読むために買うってことってほとんど無いよな?
絵本ってのは、基本「誰かに向けて買ってあげる」ものなんだ。

誰かにプレゼントするわけだから、その中身は分かっていないといけない。
中身もわからないものはプレゼント出来ないもんな。

だから、絵本は昔から同じ本がずーっと売れ続けるって特徴がある。

あんたも「ぐりとぐら」とか「100万回生きたねこ」とかなら知っているだろ?
あれが今も売れ続けているのは、「その話が有名だから」ってわけだ。

今回のコーヒーもプレゼント

今回のこのコーヒーの特徴は、なんと言ってもコーヒーを無料で持って帰れるってことだ。

渋谷のセンター街に、こんな感じでドリップコーヒーのパックが置いてある。

画像1

もちろんお湯もある。

画像2

場所はこちら。

このコーヒーがなんで無料で置いてあるのか?

基本はこのお店のオーナーさんがこの場所を西野さんに好きに使っていいって言ったことから始まっているらしい。
そこで、西野さんは絵本関連のグッズを置いて販売する事を考えた。

ただ、それだと一つ問題がある。

絵本のグッズ販売ってのは1回買ったら新商品がでなければもう1回同じ場所に買い物にくるって動機づけにはならないってこと。

それだと、せっかくこの場所を提供してくれたオーナーさんにとって何のメリットも起きなくなってしまう。
必要なのは何度もこの場所に出かけようって言う動機づけだ。

そこで考えたのが「無料コーヒー」ってわけだ。

確かに無料でコーヒーもらえるなら、渋谷行ったついでにちっとよってこうかって話になるもんな。

でも、無料で提供するための費用はどうするのか?

これがまたオモロイ。
「このコーヒーを渋谷の人々にプレゼントする権利をネットで売ろう」ってんだ。

この権利を買うと、この無料コーヒーの提供者として、あんたの名前やらTwitterアカウントかInstagramアカウント、もしくはFacebookアカウントを掲示してもらえる。

あくまで提供は「個人」ってのもポイントなのかもしれない。

個人から個人へのプレゼント。
そこにあるのは純粋なプレゼントをしたいという欲求がある。

それはちょっと形を変えた承認欲求のようなものだから、多分未来に渡って早々なくなるもんじゃない。

実際このコーヒーを提供できる件はキッチリ売れているらしい。
ちょっとすごいと思わないか?

俺も試しに買ってみたいと思っちまうもんよ。

そんなわけで、このコーヒーと絵本ってやつはプレゼントというキーワードでつながっているってわけだ。

なあ、あんたはどう思う?

このプレゼントってキーワードは個人同士のやり取りの意味を増し続ける今という時代にどんな影響を与えると思う?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?