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書くという温泉

あんたは自分の発信をいっぱいのヒトに読んでもらいたいと思って過ごしているかい?

なんか発信するんだからそりゃあ読んでもらいたいわな。

ところが、俺もそうだけれどそんなにコンスタントに読んでもらえるわけではない。
なぜって?
だって俺の記事ってさ。
答えを出してないんだもん。

答えを出さない以上は俺の記事を読んでくれるあんたが直接的に得することってのはあんまし無いと思うんだよね。

いやね。
確かにデータとかを使って「こうなってるよな」って分析することはあるけれどさ。
だからどうするべきか、って部分は最終的にあんたに委ねる書き方になっていると思う。

今回は読んでもらう書き方ってやつを考えてみる回だ。

ちっと俺たちが書くってことについて考えてみようぜ。


タイトル作り

今回、こんなことを考えるきっかけはこのnoteからもらったんだ。

相変わらず、shogoさんはヒトを捕まえるタイトルをかましてくるよなぁ。
SEOとかじゃなくて、「お?なんだ?」って興味を持たせてくれる。

俺はSEOありきでタイトルを決めて書き始めていないんだよね。
まず書きたいテーマが漠然とあって、それをもとに書きながら考えを整理して、その結果として自分で納得できる結果に持っていこうとする感じ。

なので、文章を書いて、その文章の推敲をAIにしてもらって、それで書き直して、タイトルもAIに相談して案を出してもらいながら、その案から受けたインスピレーションでタイトルを考え直すみたいなやり方をしているんだよね。

みんなどうやってるんだろうね?タイトル作りのやり方ってさ。

文章を書く動機

で、肝心のshogoさんの記事で書いてくれている文章作りのポイントだけれどさ。
要約するとこんな感じで理解したんだよ。

・考えろ
・書け
・愛されろ

………乱暴すぎるかな?😂

でもね。思ったんだよ。
これってループしている話だよなってさ。

文章を書く究極の目的ってさ。
「愛される」ことじゃん。

で、愛されるために「書いて」、そのために「考える」。

その結果としてスキだったりコメントだったりという表現をもらってだ。
「愛される」体験をしてだ。
そしたら、もう一回同じ体験をしたいから「書く」んだけれど、そのために「考える」わけだもんな。

沼だな。これw

温泉のように沼につかる

まあ、沼だってよか温泉って言わんとだめだな。

俺たちは温泉のように誰かの「スキ」に浸かり続けているわけだ。
実際の効能は言葉に出来ないけれどさ。

しかもその温泉の心地よさってのは自ら作った文章によって変わってくると来たもんだ。

俺たちは、いったいどんな温泉に浸かりたいと思っているんだ?

シンプルな共感が欲しい?
バチバチな議論を交わしたい?
泣き出したくなるような物語を味わってもらいたい?
大笑いするような出来事を伝えたい?

そうなんだよな。
俺たちは文章の温泉に何を求めているのかってのはヒトそれぞれなんだよな。

じゃあ、俺はどんな温泉を望んでいるのか。

一緒に考えたいんだよ。

俺とあんたでは考え方が違うってのが普通だと思う。
俺とあんたが歩んできた人生が違うんだから当たり前田のクラッカーってやつだ。
#安定の死語攻撃

その違う考え方ってのをさ。
体験することって、ものすごい価値があるじゃんか。

もちろん、腹が立ったり悲しくなったりすることはあると思うよ。
でも、それはあんたと俺が言葉を交わしたからこそ生まれたことなんだよ。

俺だけでも。
あんただけでも。
生まれなかった体験なんだと思うんだよ。

その体験の先にさ。
俺たちはきっと「考える」んだよ。
そして「書いて」その先に「愛される」んだろう。
少なくともその道筋を夢見ながら俺たちは日々書いているんだから。

なあ、あんたはどうだい?

あんたの「書く」の先にあるものってなんだと思う?


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