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東京オリンピック2020開会式を見た

昨日の東京オリンピック2020開会式をあんたも見たかい?

ワリカシ早寝早起きをモットーとしている俺としては夜ふかししながら見てたんだよね。

プロジェクションマッピングを使った演出だったり、ゲーム音楽を使った入場行進だったりと、日本らしさは出ていた様に感じた開会式だったと思うんだ。

最終聖火ランナーが大坂なおみさんだったってのも、今の多様性を重んじる世界の風潮をよく捉えていたように思うんだ。

ただ、その上でだよ。
なんだろう?この物足りなさ感。

今回は自分の中に残ったこの感覚について記録を残してみようって回だ。

あれだよ。きっとオタクが何かにハマったときに感じ続ける不満ってやつだとは思うんだけれども、付き合ってくれよな。

プロジェクションマッピング

開会式冒頭、結構なプロジェクションマッピングを使った演出がなされていた。

パンデミックな状況の中で自分を鼓舞し続けながらトレーニングを続けるアスリート。
でも次第に自分を見失いかけてしまい、トレーニングを続けられない。
それでも周囲との絆を思い出し再びトレーニングを開始する。

そんな物語が演出されていた。

その後、アスリートの血管を模した「赤い糸」を使ったパフォーマンス。

このあたりは印象深くてよかったような気がするんだよ。

開会式を夜に設定した意図はこのプロジェクションマッピングを前提に組み立てられていたと思うからね。

ところがこのプロジェクションマッピングはその後はあまり活用されない。

その結果として、非常に無機質な灰色の地面が常に画面上にさらされ続けるって演出になっていた。

今回のオリンピック開会式で最も「もったいない感」を醸し出していたのがこの地面だったような気がするんだよ。

日本に求められているもの

実際、色んな動画とかをみるにつけ、日本に求められているものって「清潔さ」と「物語性」って言ったところ何じゃないかっておもうんだよね。

その前提で考えたときに今回のオリンピック開会式はどれだけその期待に答えられていたんだろう?

「清潔さ」はある程度表現していたようにも思うけれども、さっきの地面のもったいない感によって清潔というよりは「無機質」担ってしまっていたように思うんだ。

どこまで言っても続く人工物。
そんな冷たい印象を画面から感じてしまったんだよね。

「物語性」については、冒頭のプロジェクションマッピングを使った部分はある程度は出来ていたように思うんだ。
でもさ、みんな思わなかったか?

「こんなもんじゃないだろう!」ってさ。

今回のパンデミック下でのオリンピックって言う特殊な状況に対してアスリートだけじゃなくて、文字通り世界中のヒトがあがきにあがきまくっているわけだ。

そのことを物語上で表現するにあたって、冒頭のプロジェクションマッピングでの演技だけじゃなくて、聖火台への点火のところにも物語性をもっと込められていたはずだって思っちまうのは俺だけか?

橋本さんやバッハさんの開会の挨拶のときだってそうだ。
まるで校長先生の訓示を聞いているような退屈さがそこにはあったように感じたんだよ。

そうじゃねぇだろ。
今、世界のヒトが求めているのはこの状況を打破するような希望に満ちたメッセージだろ。

何?それは政治の役割だろって?

それはそのとおり。
でも、それでもだよ。

この状況でもオリンピックを開催する意味ってやつを誰しもが求めちまっていると思うんだよ。

だって普通ならこの状況下で開催するのって無理なことなはずじゃんか。

それでもやる。
それが政治的パフォーマンスにしか見えない現状を打破するような「希望」こそ、俺たちが求めているものだったんじゃないのか?

だからこそ、俺は強く感じてしまったんだ。

「こんなもんかよ!」ってさ。

なあ、あんたはどう思う?

今日からのオリンピックでのアスリートの活躍は俺たちに「希望」を与えてくれると思うかい?

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