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性差っていう現実

あんたはジェンダー平等って言葉を聞いたときにどんなことを感じるかな?

この実に難しいテーマをぶつけられると、大抵のヒトは及び腰になっちまうやつだよな。
そのくせ、女のくせにだの、男のくせにだのってキーワードを聞いたとたんにふぎゃらぷ~って感情が爆発しちまう。

性別という動かしがたい要素に対して、社会にあるイメージがあまりに強いからそういうことが起こるのかもしれないとは思うんだけれども、このテーマはめちゃくちゃ俺たちの感情を揺さぶってくるよな。

今回はジェンダーに対する感情について考えてみる回だ。

実に微妙なテーマに果敢に取り組もうって俺の無様さを眺めてくれよな。

性別や性認識に基づく上下

まず、性別や性認識によって「上下」って概念があるって現実を眺めていかないと話が始まらないってことなんだろうな。

俺の仕事では普通に上司として女性もいるし、仕事仲間にセックスと
ジェンダーが違うヒトもいる。
男性だろうが女性だろうが優秀なヒトは優秀で、セックスとジェンダー
が異なっているヒトも優秀なヒトはホントに優秀だ。

逆に男性でも女性でも仕事に対する思いが俺とベクトルがめちゃくちゃ違うヒトもいる。
俺からすると「ぜってー違う」って思うようなことを考えるヒトも普通にいる。
そこにはセックスもジェンダーもあんまり関係がないと感じているんだよね。

つまり、俺の感覚だと性別って要素はあんまり上下関係ってのが感覚としてないんだよな。

現実としての性別による得意不得意

とは言えだよ。
現実的には性別による得意不得意ってのはあるわけだ。
力仕事は平均的には男性の方が得意になりやすいだろうし、接客業においては女性の方が能力を発揮しやすいってのもあると思う。

ホステスやホストみたいな、性別に依存した職業もあるしね。

そういう性別という特殊能力に伴った仕事ってのがあるわけなので、すべてのチャンスにおいて平等に機会をあたえるってのは現実的ではないわけなんだよな。

これは性別の上下ってよりは、得意不得意っていうより3次元的な話になってくるので、男の方が女の方がってのはちっと議論の方向性として違和感を感じるわけだ。

収入面での男女格差

とは言えだ。
平均的な収入額で男女格差があるってのは現実としてある課題だってのは聞く話だよな。

同じ仕事をしているのに差があるなんておかしいって話は違和感なく聞ける話だ。
でも、この「同じ仕事」ってのがめちゃくちゃ定義が難しい。
こればっかりは仕事をしている時間の長さとか、シンプルに計測できるなにかとは違うもんな。

例えば、そのヒトが頑張って会社の売り上げ額を伸ばしたとして、それって組織として伸ばしたんであって、そのヒトがどんだけ貢献したのかってのを数値化するのは結構な難易度だ。
だからこそ、その貢献をどうやって表現するのかってのが世の中で生き延びるために重要視されるわけだからね。

とある商談を受注できるかどうかってときに、とるべきアプローチってのはヒトによって千差万別だと思う。
それこそ、男女でも違うし、なんならお客様との人間関係をどうこさえてきたのかって要素がめちゃくちゃでかい。

でもその結果としての売上金額っていう数字でしかヒトを評価しないとしたら、それって仕事というものをあまりにも一面的にとらえすぎているってことになるじゃんか。

それなのに、評価の結果として表される収入って数字の平均において男女格差があるってのは歴然とした事実なわけだ。

これっておかしくね?って脊髄反射的におもっちゃうけれど、同じ仕事ってのが誰にも計れない以上は「おかしい」ってことを証明する方法がないのが現実なんだよな。

それでもおかしくね?って感覚は現実として存在する。

そして、その低い評価をされたものにとって、その感覚ってのは拭いがたき不快感を伴うもんだ。
そしたら、その感覚は誰かを悪者にすることで昇華しようとするってのはごく自然な流れだよな。

では俺たちは、悪者として認識したヒトとまともに会話できるのか?
そいつは無理ってもんだよな。
俺たちは悪者を見たら、そいつをやっつけないといけないって思うようにできているんだから。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは男女という変えることのできない条件を抱えながらどうやって話し合えばいいんだろう?

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