鬼滅の刃とヒロアカとハガレンと
あんたも鬼滅の刃を楽しんでいるかい?
流行りに乗っかって見に行った劇場版が思いの外に俺の感情を揺さぶってから半年以上の月日が流れ、ついにDVDとBlu-rayが発売になったわけだ。
で、我が家でも普通に購入したわけだ。
我が家の生活サイクルに合わせてちょびちょびと見ていけるのが良い。
まあ、それじゃ作品の感情曲線をちゃんとなぞれないだろって言うのはあるんだけれどさ。
今回は、そんなちょびちょびの見方をした上で、改めて劇場版鬼滅の刃に対して感じたことを書いておこうって回だ。
まあ、ちょびちょびの見方だから、そんな深いことにはならないとは思うんで付き合ってくれよな。
煉獄杏寿郎というキャラクター
見返してみて思ったのが、煉獄杏寿郎というキャラクターは「僕のヒーローアカデミア」で言うところのオールマイトだよなぁってことだった。
柱という立場とNo1ヒーローという立場の共通点もさることながら、後輩たちに対する思いの持ち方。
さらには誰一人犠牲にしないというヒーローとしての思い。
炎の呼吸と○○スマッシュ。
あげればいくつでもありそうな共通点が思いつく。
中でも煉獄杏寿郎の継子とオールマイトの継承者って比較はちょっとおもろい。
炭治郎たちは正式に煉獄杏寿郎の継子にはなっていないけれど、彼らの立ち位置は雄英高校の生徒たちの姿と重なるよな。
煉獄杏寿郎の継子
で、ちょっと調べてみると煉獄杏寿郎は劇場版鬼滅の刃の時点では継子はいないんだそうだ。
その代わりかつて継子だった人物がいるんだそうだ。
甘露寺蜜璃だ。
なんか意外な感じだよな。
大抵は継子になったヒトは煉獄杏寿郎の修行の辛さに音を上げて逃げ出してしまうそうなんだけれど、甘露寺蜜璃の場合はあまりにも炎の呼吸からオリジナル要素を引き出してしまって、炎の呼吸の派生である恋の呼吸を編み出して独立して柱となったんだそうだ。
ははぁん。コミックを読んでみても、その辺はあまり読み取れるもんじゃないけれど、そう思って読んでみると煉獄杏寿郎の訃報を聞いたときの表情とかは結構来るものがある。
継子に限らず煉獄杏寿郎は後輩たちに「責務」の姿を見せて伝えたってことなんだろう。
オールマイトが生徒たちに伝えているもの
じゃあ、共通点を俺が感じたオールマイトは生徒たちに何を伝えているのか?
やっぱり「責務」なんだよな。
煉獄杏寿郎の死のシーンに対応するシーンってなると、やっぱりオールマイトのワン・フォー・オールが燃え尽きたオール・フォー・ワンとの戦いだと思うんだ。
その戦いの最後に紡ぎ出されたセリフ。
「次は君だ」
あれこそ、緑谷出久に自ら背負ってきた「責務」を明け渡すシーンだよな。
先達として果たしてきた責務を後輩たちが担うことを願うその姿は完全に煉獄杏寿郎が炭治郎たちに残した言葉とリンクするように感じるわけだ。
俺たちが背負っている「責務」
煉獄杏寿郎とオールマイトの「責務」の共通点を感じた俺は改めて思うわけだ。
俺たちの「責務」ってなんだ?ってさ。
煉獄杏寿郎には「鬼」。
オールマイトには「ヴィラン」。
そう言う脅威が存在していた。
その脅威に対抗することこそが彼らの「責務」なわけだ。
では俺たちにとっての脅威は?
世界を脅かす紛争か?
犯罪者による不秩序か?
政治屋による国の荒廃か?
そのいずれもが「あたり」であり「はずれ」な気がする。
だってそれらは全て脅威の一部でしかない。
物語のように世界は一つのテーマに収束していくようには出来ていないもんな。
ではその前提で考えたときに俺たちの「責務」はなんなのか?
きっと「愛するヒトのためにあがくこと」なんだろう。
このあがくってのは何も顕在化した脅威に対応するってことだけじゃない。
なんなら脅威の原因になりうるものを事前に予測して対応することを含んでいる。
そう考えると俺たちの背負っている「責務」はビックリするくらいに複雑だ。
世界は俺たち各々の存在が同時並行的にその脅威に立ち向かっているってことなんだから。
まさに「一は全、全は一」だよな。
なあ、あんたはどう思う?
俺たちはこれらの物語から「責務」を果たす道を見つけ出すことが出来ると思うかい?
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