ハラスメントと被害者への攻撃
あんたも前に韓国の芸能人のヒトがライブで痴漢にあったってニュース見たかい?
俺としては、このヒトのことを一ミリも知らないので、どういったことをなしてきたヒトなのかってことを語ることは出来ないんだよね。
調べてみると10年くらいの活動を国内外でなさってきた御仁のようだ。
韓国の生き馬の目を抜くような状況で10年間踏ん張ってきた努力ってのは想像に難くない。
しかし韓国の女性芸能人の見分けがつかないのは俺が歳をとったせいなのかね?
なに?日本人だって見分けついてないだろって?
ごもっとも。
おいらの歳のせいでござんす。
で、なんかこのDJ SADAさんは結構色んなところで「戦う姿勢」を表現してきたってことらしい。
なんか、飛行機に攻撃的なメッセージが入った服を着て乗ろうとしたら規定違反で搭乗させてもらえなかった事があったらしくって、その時も「差別だ!」と発信していたみたいだね。
なるほど。ファッションに対して並々ならぬこだわりを持っていらっしゃるってことなのかな?
まあ、俺としてはこの服のセンスは理解を超えているんだけれどさ。
なんだろ?
日本語でイメージするなら「くたばれ!」って全面プリントされているスパッツで出歩く感じ?
しかし、アメリカの航空会社には「攻撃的なメッセージが書かれた衣服」を認めないって規定があるんだね。
さすが訴訟大国。
今回は言葉で攻撃することと反撃することについて考えてみる回だ。
ちっと俺たちが使っている言葉についても気をつけてみようぜ。
今回の事件でDJ SODAさんが言っていること
実際、X(Twitter)でどんなことを発信していらっしゃるのか見てみると、こんなのを見つけたんだよね。
なるほど。
DJ SODAさんにとって、一連の発信は「勇気」を振り絞る必要があった発信だったってわけなんだね。
さて、この「勇気」ってのはどんなことに対する勇気なんだろう?
直接的に捉えるなら「性被害を受けたことを告白する」勇気だよな。
まずは具体例を考えてみると、「財布盗まれました」って発信をするのと「痴漢にあいました」って発信するのでは、たしかになんとなく「痴漢にあいました」の方が発信しにくいって感覚はある。
でも、その感覚はなぜ起きているのかって聞かれると、なんかうまいこと言葉に出来ない感じがしたんだよな。
発信に対する反撃
まあ、俺としては幸いにも痴漢にも痴女にも被害にあったことは無いので想像の世界でしか無いんだけれど、なんとなく同じ被害を受けたと言う発信でも、性的被害を受けたケースの方が「反撃」を受けやすい印象があるんだよな。
この反撃を受けやすいと言うのが事実だとすれば、性被害を受けたと言う発信をするのが「勇気」を必要としていたってDJ SODAさんの言葉の意味もすんなり筋が通る。
でも反撃を受けやすいってのはなんでなんだろう?
さっきの例で言えば財布を盗まれたヒトに向かって「普段からの防災意識が低いんじゃボケ」って発信するヒトって俺としては見たときがない。
でも痴漢にあった女性に対して「挑発的なファッションだったんじゃないの?」とか言う発信はまあまあ見る印象がある。
性的犯罪の被害者への反撃をする心理的ハードルが低いってことだよな。
このハードルの低さってのは思うに「ハラスメント」全般が被害者の側に「立ちすぎている」ってのがある気がしたんだ。
このサイトによると、ハラスメントってのは「相手に不快感や不利益を与え、その尊厳を傷つけること」らしい。
この「不快感」ってのが曲者なんだと思うわけよ。
不快感。文字通り不快に感じる感情のことだよな。
で、いつも俺が書いている通り、感情ってのは客観的に観測することは出来ない。
そう感じているのではないか?と推察することは出来てもね。
このことが何を示すのか。
つまり「不快感」を表明するだけで相手にハラスメントと言う汚名をおっ被せることが出来るってことだ。
ただでさえ「なかったこと」を証明するのは悪魔の証明と言って事実上不可能だから、法律では推定無罪の原則ってのがある。
ところが、ハラスメントに関しては「被害者の感情」が立件理由になりうる。
実にアンバランスなんだよな。
このアンバランスさに対する抵抗感の現れとして「被害者への反撃」発信が増えているって側面がありそうに思ったんだよ。
もちろん痴漢はよろしくない。
でもその存在とその存在と戦う姿勢が、俺たちのような痴漢行為とは無縁な生き方をしているヒトを犯罪者予備軍に仕立て上げているって見方をすると、反射的に「被害者への反撃」をしたくなってしまうってことなのかもしれない。
なあ、あんたはどう思う?
この罵り合うだけの世界を俺たちは望んでいるのか?
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