今年の4月から高校で使用されている「日本史探究」の教科書を入手しましたので、邪馬台国の所在地についての記述がどのように変わったかを調べてみました。
上記史料1とは「魏志倭人伝」で、大倭や一大率などの倭国の政治制度、大人・下戸やあいさつの仕方など倭人社会の様子、卑弥呼の宮殿や墓についての口語訳で、
史料2は「魏志倭人伝」で、景初三年の朝貢、皇帝の詔書、金印や銅鏡などの下賜品についての口語訳です。
従来の教科書との比較では、山川出版社の教科書は、纒向遺跡についての説明が詳しくなり、畿内説がより強まっていることを示唆しています。正直なところ、最新の研究成果を反映して、もう少し踏み込んだ内容にして欲しかったのですが。
清水書院の教科書では、考古資料から畿内説でほぼ決まったかのような印象を受けます。しかし銅鏡100枚に該当する可能性がある鏡として、三角縁神獣鏡に絞ってしまっているのは勇み足ではないかと個人的には思います。ここは漢鏡5期~7期の鏡も候補に入れておくべきだと思います。
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邪馬台国の所在地についての教科書の記述①
邪馬台国の所在地についての教科書の記述②