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命の行進二〇二二年を歩いて

南無妙法蓮華経

3月5日福島県いわき市湯本の古滝屋旅館内にある「原子力災害考証館」でオープニングイベントを開催しました。

一昨年、国が53億円かけて建てた「原子力災害伝承館」を、昨年の行進のあと見学した時は、原発事故の展示内容の薄さにがっかりしました。その時思ったことは、国や大きな組織の意向が入り込まない、草の根の民間で作る資料館が無いことは残念だなと思っていたので、今回、個人個人の想いによって作られた考証館から行進が始められたことは大変意義深かったです。
古滝屋16代当主であり考証館館長の里見さんには行進団の宿泊までご供養頂き、その懐の深さに考証館が今後発展して行く事を想像しました。

命の行進も15年目を迎えました。今年も福島の方達と新しいご縁が生まれ、共に歩いてくれたり、宿のお世話を頂いたりと、良縁を結ぶことが出来ました。
小学五年生の“あっちゃん”は猫の保護活動している方で、母の藁谷さんと共に、福島と東京で歩いてくれました。南相馬市小高出身の佐藤さんはお姉さんを津波で亡くし、震災後は小さな子供達と転々と住む場所を変え、(子供が小さくて避難所にも滞在できなかった)今はつくば市に住み、宿や食事のお世話や休日に家を開放して下さったり、親身にお世話下さいました。
県職員の小笠原さんは初日共に歩き、その後も有給をとって一緒に歩いて下さいました。

今年初めて福島第一原発の立地地域である双葉郡を縦断しました。その中でも富岡町、大熊町、双葉町はボロボロになった灰色の家々と伸びきって枯れたきつね色の草が廃墟となった家の庭を覆っていました。
なかには、窓ガラスが割れ、散乱した家の中が見える家もありました。福島県が把握している県民の避難者は3万3365人です。その殆どがこの地域の方達であろうと思います。
原子力災害は一瞬で人間の世代を超えて積み重ねてきた営みを根こそぎにしました。目の前に広がる人気の無いゴーストタウンを生み出したのは紛れもなく私が育てられた都市の裕福な生活に起因していると、失ったものの大きさ、都市生活が奪っているものの広範さを自身に突きつける為に私は毎年、福島を歩いているのではないかと思いました。

3月16日震度6強を観測した地震の時、私達はいわき市勿来のキリスト教会にお世話になっていました。一階の聖堂で休んでいた時でした。ゆっさゆっさと揺れはじめ、まるで船の上で波に揺られているような感じでした。寝ぼけていたこともあり、どうして良いか分からず、とりあえず地震も収まり呆然としていると二階で休んでいた牧師さんが降りてきて、「津波が来ますので、これから避難します」という様なことを言われ、まさかとは思いましたが、頭陀袋と寝袋を持ち、車に乗り込み高台の小学校へと避難しました。避難するまでは心臓の高鳴りが続き、もし津波が来たら明日からどうなってしまうのだろうと考えながら車を走らせました。
多くの車が校庭に並んでいました。一時間弱ほど待機して、「もう大丈夫でしょう」と牧師さんが言われたので私達は教会に戻りました。
とても貴重な経験をさせて頂きました。震災の恐怖と不安を一瞬でも体験した事で、恐怖と不安はPTSDのようにしばらく残る事を経験させて頂きました。あの震災、原子力災害、避難生活などを経験された方達が11年経った今でも、心に傷を抱えていることを思うと、“忘れてはいけない”と思いました。

茨城県に入りました。北茨城市の港町をいくつか通り過ぎました。三.一一と言えば東北三県が被災地となっていますが、津波は差別なく茨城も千葉も襲っています。
行進の音を聞き、顔を出してくれる茨城の人達も、合掌される方、「ご苦労様」と声をかけてくれる方もいて、人の温かさを感じらました。茨城県も他県の例にもれず、人気のない地域が多かったですが、江戸時代の名残でしょうか、立派な門を構え、広い敷地の家が多くて驚きました。
水戸市、つくば市、東海村は民家も多く、道行く人も多くいました。
なかでも日本で最初に原子力発電が開始され、現在は東海第二原発や10以上の核施設を持つ、東海村は日本で2番目に人口の多い村で3万7000千人以上の人が生活しています。子供達が一緒に歩いてくれたことが印象的でした。
東海村内を歩いて目につくのが、新興住宅地の様にきれいな新しい家が並んでいることでした。村の予算も200億円前後と全国でもトップクラスの財政力です。
東海村に住めば税金も安く、子育て支援や高齢者福祉などの様々な恩恵が受けられるのだと思います。
そう、ただ一つ放射線事故等の被ばく危機と隣り合わせの生活と共にですが。
反核の声をあげようとしても、地域の経済活動にしっかりと組み込まれた原子力産業は簡単には抜け出せない構造となっています。毎日の生活と切り離せないからこそ、簡単には解決できないのです。
都市生活の大転換、便利快適な人間社会の方針転換こそが一番シンプルな解決策ではないかと思うのですが、個人レベルではなく、共同体として体現して、良い見本となり共感を得ていく事が必要だと感じています。

最終の27日から29日まで、東京行脚三日間を行いました。福島から禅僧の田中德雲さんと藁谷さん、あっちゃんも来て頂きました。28日には小金井で德雲さんの「11年目の福島から伝えたいこと」と行進団から「命の行進2022」の報告も行いました。40名近く参加があり、知らない顔も多く、福島の事、原発の事など、日々の生活の中で考える事が少なくなってきている、東京の人達に伝えたいとの初期の目的が叶いました。

都内では高級住宅街からトー横キッズと呼ばれる歌舞伎町に集まる家出の子たちが集まる所。中央線沿いの吉祥寺から三鷹、小金井。通勤・通学で賑わう日本橋周辺から築地(汚染水問題に関連して)ロシア・ウクライナ大使館、そして東京電力本社、国会議事堂まで歩きました。

11年という月日はけっして短いものではありません。当事者でなければ忘れるのに十分な時間です。
さて、福島県外に暮らす私達は福島第一の原子力災害の当事者ではなかったのでしょうか?

福島の原子力災害は今も現在進行形です。事故の対応費用は現在21兆5000億円まで膨れあがっています。小児甲状腺癌または癌の疑いが266人と通常の発生率の70倍も高くなっています。この中の6人(10代~20代)は東京電力を提訴しました。福島県内の報道等では、甲状腺癌は原発事故由来の放射線とは関係ないというのが主流で、放射線被害の話しをするのも憚られるような“空気”の中、勇気のある決断をした6名、彼らの心が折れることのないように支援していくことが県外にいる私達にこそ出来る事ではないでしょうか?
震災関連死は2331人を超え、福島県は他県よりも圧倒的に多いですが、これは原発事故によって避難したことに起因しています。それでいて、避難指示等の対象となった12市町村に移住すると世帯200万円、単身120万円の支援金が出るという県の政策があります。放射線被害のリスクがゼロではない地域にお金で人を呼び込むという政策には疑問を感じます。
そして、放射能汚染水の問題、政府は来春(2023年)には海洋放出を始めると発表していますが、これも問題だらけです。先ずは汚染水の放射線量を基準値以下に下げてから放出すると言っていますが、まだ7割の汚染水は基準値以下になっていないようです。政府はトリチウム水と言っていますが、トリチウム以外にもセシウム134、セシウム137、ストロンチウム90、ヨウ素129などの放射性物質が残留していた事が2018年、共同通信による報道であきらかにされました。それまで東電はトリチウム以外の放射性物質は除去し、基準を下回ると説明していたのです。
そして、その汚染水を今後約30年以上、海に流し続けるということです。どの様な影響が出るか分からないまま、一部の科学者によって設定された基準さえ守れば、どんな事でも許されると考えることは、自然界、次の世代に対して無責任な行為であり、人間の思い上がりです。この様な思い上がりや過信が原発事故の原因であり、地球規模の気候変動の原因でもあるのです。また、政府は6年前、福島県漁連に対し「関係者の理解なしに、いかなる処分も行わない」と約束しているのに、昨年、突如放出決定を発表しました。南相馬市同慶寺の田中德雲住職は、政府が一方的に約束を反故としたのに、「漁師達が復興を妨害している、お金を貰っておいて、反対している」。と等の悪い流言飛語が出回り、漁師たちが精神的に追い込まれていると、懸念されていました。また德雲住職は、「福島で起きている問題は、福島だけの問題ではない、東京に住む皆さんには、漁師さん達の汚染水放出反対の主張が決して間違っていない事を理解し、声をあげて貰いたい」。という様な内容のお話しをされました。
東京電力の圏内に住む者も、県外の私達も傍観者とならずに、電力過剰使用社会に住む一人として、責任も持って関わっていきたいと思います。

“喪失”を経験した人たちにとっての11年は目まぐるしく、新たな生活に適応するのに精一杯だったでしょう。福島の新聞では11年が経った今も、津波で母が死んだのは自分のせいだったと苦しみ、又養子先の生活に苦しみ、自殺した高校生の記事が掲載されていました。
特に東京で育った自分は、この問題の当事者であり、加害者側であることを自覚し、これからも福島を祈り、歩き、人々との出会いを重ねていきたいと思います。

(通し行進者は矢向法尼、池田上人、久保上人、相原更紗、鴨下の5名でした)。
                                        合掌

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