暴力のあらわれる形

暴力は悪い。だけれど暴力は存在する。そういうときにどうするか。

自分が不登校だった頃、殴られることはほとんどなかったように思う。

代わりに非難されること、顔を合わせると怒られる毎日だった。

そこには行使する側の怒りがあった。行使された自分の側にも。お互いに信頼があるかどうか。

殴る、蹴る、それは明らかに悪い。行使する側は周りを見て、それをよく理解していた。

だからその行いを避ける努力を模索していたのだろうと、安全圏に出た今では思う。

それでも感情は変えられない。フラストレーションの溜まった意思は、怒鳴り声や態度、話す内容などの言動で現れていた。

自分はお互いに持つ不健康な感情、それをどうしようもない限り、それは必ず形を変えて出てくると思う。

これから虐待防止の法律が制定されるというニュースを読んだ。おそらく珍しくなかった自分が辿ったような暴力のあり方が、今以上に見えない場所で増えてくると考えている。また法律で防止しようとするのだろうか。

自覚の有無に関係なく、親になる資格を持たない親はいる。そこから親になる手伝いをする、そういう支援が欲しいと思う。

子も違和感を覚えない状況すらある。自分は不登校だったとき、他の友人たちと遊ぶ環境があった。そこから見るだけでも、自分のいた環境がおかしいことに気付けた。だから自分の側にも怒りがあったのだと思う。

暴力は悪い。だけれど暴力は形を変えて存在する。そういうときは一旦環境を変えるか、出るのが良いと考える。どうするかは後で考えても良いのだ。

子に訊いてみて欲しい。『最近自分は上手くいってると思う(感じている)かどうか』を。

言わなくても、その子にとって大体『自分の人生が不幸だと感じている』ことの主観が、積み重ねてきた関係性の事実だと最近の自分は考えている。


『親から子への体罰を禁止した法律が成立 2020年4月から施行https://news.livedoor.com/article/detail/16642749/』を読んで


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