『場当たり的な本気』に気を付けよう
いつの間にか意見が180度変わっている人がいる。
・『Aが好き』→『A?全然言っていない。Aは大嫌い。』
・AがBより先に同じアドバイスをしていて、『Bから良いアドバイスを貰った。(自分の事を)思ってくれているのかな。』と言い、そのときにアドバイスに従う。
・『あなたのことは私が何とかする』→『自分でやることが大事。人をあてにしてはいけない。』
意見が変わる過程が見えない。また、変わり方が極端。
この人にいつも共通している問題は、その場面、その場面、本気で言っていることだ。
移ろいやすい気持ちからの言動なのだ。
第三者のいる場面で、この人の気持ちからの言動は確かな説得力を持たせてしまう。その目にも力が宿っている。
第三者にはこの人のそれまで(のストーリー)が分からない。話しても、伝わりにくい事さえある。
私はこれを『場当たり的な本気』と呼んでいる。
この人の行いが一貫したことも、守られたこともないそれまでを、自分は知っている。
この『場当たり的な本気』に、苦しむ環境を維持され続けて、時間を消耗している人がいる。
もし困っているのなら、第三者が自分の話すこの人像に首を傾げていても、自分の不可解な感覚や、『自分のことが上手く行っていない実感』を信じて、より大きな所へ向けて行動して良いと考えている。
パートナーとの関係、親子関係、友人関係・・・
人生の時間は限りがある。
この人からの気紛れな思いやりはいつ貰えるのか、それとも貰えないのか、分からない。
この人の事を書くなら、
本気だけれど、長い目で見て嘘つき。
そう言えるだろう。
この人は付き合いが長くても、信じるに値しない。
人生を守る為なら、この人に大事なことを委ねてはいけない。
不都合があれば、たとえ責任や、その影響の向かう先が子であろうと、180度違うか、『テキトー』な事を言って逃げるだろう。
他人には着せるけれど、自身に対する『責任』の概念を非常に嫌う。
1から10まで言っておいて、『1も言っていない』という意見の曲げ方をする。
見方を変えれば、この自分の気持ちに正直な人も『自分に嘘をついている』というのかもしれない。
その目に映る人生はどんな光景なのだろう。
繰り返しになるけれど、当人に悪意は元より、嘘をつく意思は殆ど無い。
それでも出る嘘に気付くには、自分の状況を含めて、その人との言動を書き出したりして、ことの始まりと結果を振り返る事が効果的だと考えている。
そして、自分は心を動かされない様に、『こう』はならない様に努めるのみだ。
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