私と友人扱いの関係性 -2 (前日譚)

私たちの付き合いの最後にあったトラブルそのものは、大したことではなかった。

友人にとある事情(話し合い)があることを聞いて、貸した物が無くなっていたのだ。

友人に聞いていたのは、
その話し合いは相手が怒り立ち、もつれ、一旦中断になって、話し合いの続きをまた予定することになった、
私が貸した物はその日、間に入って制した相談支援の方が預かることになり、そのままコロナ禍に入って、会うどころか、連絡も出来なくなった、とのことだった。つまり、『回収は当分難しい』という話。
 
私は私で困った。自分の物。いつ返ってくるのかわからない。友人では連絡も取れない?
それでは、自分が連絡を取ることは出来るのではないか?

連絡先は相談支援事業所。電話番号はわかった。友人から聞いていた名前の方にコンタクトをとることにした。
幸い、その方と連絡がとれて、事情を説明して物を回収したい旨を伝えることが出来た。
ところが先方によると、私が貸した物は友人から預かっていないらしい事が分かった。それ以外にも判明したことがあった。

『とある事情』そのものが一度も行われていないこと。

友人からは『いつになるかは分からないけれど、二度目を予定している』、という話だった。
友人と先方の話では、そもそも『とある事情』の予定自体があったのか、なかったのかも分からなかった。
私は友人とその支援者の繋がりにとって、第三者。
支援者の方にも立場上、話せる事には限りがあった。
お礼を伝えて、それ以上の詮索は止めた。

少なくとも分かったこと。

  • 友人は『とある事情』を理由に私から物を借り、それを無くした。

  • 『とある事情』はあるのかどうか、分からない。

  • 私に借りる際に友人に「借りたら?」とアドバイスしたという方がいたこと。

  • 一度目のエピソードは作り話。(私が話を聞いていて、初めに引っ掛かったところ。『相手が怒り立った』事実は無かったことになる。それは社会人としてどうなのか、という意味で)

  • 友人は嘘をついている。

友人に会いに行き、事実を確認した。 
「○○さんがそう言ってたのなら、そうなのだろう。」
それよりも、友人は私が連絡先を調べてコンタクトを取った行動に憤っていた。

友人はどうして私から物を借りたのか? 
名前を出された方は今回の話を知っているのか?

貸した物の回収は早々に諦めた。どうして借りたのか、を訊くことも手放した。
後日確認すると、友人は『いつ、どこで無くしたか分からない』そうだった。当人は既に嘘つきのイメージで染まっている。事の真偽は私と友人では最早分からなくなっていた。
代わりに私がお願いしたことに大変動揺して、泣き出した。

それは、
『一名で良いから、名前を出した方に立ち会って貰って、今回の出来事を直接、自分の口で私に説明して欲しい。』
ということ。

これは自分のしたことを明らかにして、自覚してもらう為。
また、だしに使った人に対して謝罪させることも兼ねて。

残念なことに、日頃から謝れない友人にその責任感は果たして、無かった。


LINEのやり取りでは入力が乱れ、漢字、ひらがなの誤字脱字。文章が壊れていた。
かかって来た電話では涙声や震え。

友人「許して下さい」 
私「責任を果たしー」と話したところで、電話はブツッと切られた。

LINEには『自分のすべてを奪わないで下さい』とまで書いてあった。

泣き落とし。
何処かの「生殺与奪の権を〜」とは、こういう時に使うのかと錯覚した。
私が奪うのだろうか?

私に対しての行いよりも、『お願い』によって『すべてを失う』可能性の方をとても恐れていた。『すべて』とは、その人からの好意であり、その縁のこと。『とある事情』にあたって、自分が名前を出した方々との繋がり。
『大事におもっている』にしては、軽い。自己中心的で人を粗末に扱っている。

友人がその反応から思った通りだ。
自分が見限られるのだろう?

俗な言葉で書くけれど、『嘘をついて人の名前を出して物を借りパクした』、この程度で『すべてを失う』のだろうか?
その程度の信頼しか築けていなかったのだろうか?
叱られるだけではないか?

これまで私だけが対象ではなかったといえ、恋愛における不誠実やわがまま、他人への横柄な振る舞い、公共でのマナー無視を指摘せず、見送ってきた。苛立ちの1つ1つが一気にやって来た。連絡を止めた。

それから、友人から急に悪者の様に言われ出した人たちのことが思い浮かんだ。

皆、お誘いの断り等、社会的ステージや付き合う人、気持ちが変わったりで、友人にとって都合や付き合いが悪くなった人ばかりだった。それまで随分親しかったのではなかったか?
友達関係も含めて、愛情を感じ得ることが困難になった人々。
その悪者リストに『とある事情』の相手と、私が今回、新たに追加された。

友人(自分)は彼(女)等の被害者だとする言い方。捨てられた、傷つけられたとか、可哀想さを口にして誰かの懐へ潜り込む姿勢。
既視感。
『これは、何度目?』

私が見ている限り、それは浮気の始まりの様だった。

何処で話を切り取るか、の違い。
私からすると、友人の方が先に相手に無責任や不誠実を働いて逃げたり、相手から離れられたりしているのだけれど。友人の話では悪者の相手が急に、と自分を正当化している様に映る。
何にしても、相手が急に悪くなったという事はそれ程ない気がする。

ひょっとすると、可哀想な話の中には他人のエピソード、作り話もあったのかもしれない。私のエピソードに良く似た悲しい話をしていた事があったからだ。

ある疑念が浮かんだ。
以前から、友人の話してくれた過去のエピソードやその時系列が、私の中で辻褄が合っていないこと。真偽も時間、金銭的にもおかしい。何処にその様な余裕があったのか?
けれど今更、確認しない。
寧ろ、しない方が良いのかもしれない。

私は恐らく、友人扱いだった。
それが、都合が悪くなって悪者になった。

私としては、それで別に構わない。
友人の話は場当たり的な嘘だったのだから。
私と違い、友人には自身のこれまでのストーリーが把握出来ていない。一場面ずつでは答えられたとしても、何処かで辻褄が合わなくなることは確か。
これまでもずっとその様なやり方で切り抜けてきたのだろう。

私は、友人の責任を肩代わりする為に一緒にいたわけではない。
どうしてこの人には友人扱いの関係性が沢山ありながら、耐え難い程に淋しくなるのだろう?
淋しい所為でか、次の愛情をくれる相手との関係性を呼び込む体質。
新しい関係性が出来ると、それまで御世話になった人を足蹴にして捨てる冷たさ。
相手の心を理解する解像度の低さ。
コミュニケーションの回数を幾ら重ねても、相手として虚しさが残る。
私は居なくとももう結構。違いはなかったのだから。

元友人がいつまでも、嘘で買い取ったやさしさに包まれていられれば良い、と思う。

『今までありがとう』と、『さようなら』とを伝えず、私も友人扱いの関係性から出て行った。

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