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神の国

 「神道政治連盟国会議員懇談会の三十年ということで、おそらく話があったんだろうと思いますが、この綿貫先生は、綿貫先生はまさしく神の子でありますから、しかも、きわめて位の高い神官でありますから、綿貫さんと私たちは同期生、同じ昭和四十四年の暮れに当選をした。綿貫先生はその纏め役をされておるわけでありますけれども、同じ同期には、当時二十七歳であった小沢一郎さん、その次に若かったのは私、その次に若かったのは私より二つ上の羽田孜さんでした。その次は大阪の中山正暉さん、梶山静六さんもおられましたし、江藤隆美さん、松永光さん、浜田幸一さんと多士済済、いろいろな方がおられた。本当に小沢さんをはじめとして、世間をお騒がせするものが私も含めて、たくさんおったのが、昭和四十四年組でございまして、その中で私どもが、綿貫さんの指導を仰ぎながら、神様を大事にしようという、最も大事なことであり、世の中忘れておるではないかということで、いわゆる神社本庁の神道政治連盟、国会議員懇談会を設立したわけでございますから、まさに私達が中心になって設立し、この活動をさせて戴いたものと自負しておるわけでございます。

 村上幹事長その他多大なる御努力のもと、「昭和の日」などの制定を致しましたり、今の天皇のご在位のお祝いを致しましたり、陛下御即位五十年、六十年のお祝いを致しましたり、ま、ややもすると政府側、いま私は政府側におるわけでございますが、若干及び腰になることをしっかりと前面に出して、

日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く、その思いでですね、私達が活動して三十年になったわけでございます。

比較的私達の同期というのはしぶとくて、結構国会に残っておりますのは、神様を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえるんだなあと思っているわけでございます。


 とりわけ、今日は梅原先生もいらしておりますが、やはり私は、有難いことに「森」という苗字を戴いておりまして、いまや日本だけでなく、世界中が環境の問題を語るには「森」を大事にしなくてはいけないでしょう。ということになるわけで、小渕さんまで私を大事にして下さったんではないかと思うぐらい、今の立場は本当に、小渕さんの残された仕事、思いをですね、しっかりと私が実行できるように努力せねばならぬ立場にあるわけです。それには、我々の子どもの社会から考えてみますと、やはり鎮守の森というものがあって、お宮を中心とした地域社会というものを構成していきたい。このように思うわけです。


 私が今、小渕総理の後を受けて、こういう立場になって、教育改革をすすめようという教育改革国民会議というものをこうして致しておりますが、少年犯罪がこうしておる状況にアピールをしようと、テーマを造ったわけですが、はっきりいって役所側で作ったもので、みんな大変ご批判がでました。まるで文部省が各教育委員会に通達した文書だったんですが、審議会そのものに対しては文部省の私的諮問機関なので、私がそのものに口を出してはいかん立場なんです。たしかに難しい立場で難しいことなんだけど、

要は私は、人の命というものは私はお父さん、お母さんから戴いたもの、もっと端的にいえば、神様から戴いたもの、神様から戴いた命はまず自分の命として大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはいけない。そのことがまずもって基本にないといけない。

その基本のことが、何故子ども達が理解していないんだろうか。いや子ども達に教えていない親達、学校、社会の方が悪いんだといえば、私はその通りだと思う。


 しかし、昨日沖縄に参りまして、四十七都道府県から子ども達が集まりまして、小中学校の生徒さんが集まるサミットというものをやりまして、そして七月に集まるサミットに提言をしてくれた。その提言を私が戴いたわけでございます。その文章を見ていますと、自然環境を大事にしなければならないとか、そして地球、とかいろいろ書いてあるわけですが、どこにも命を大事にしろとは書いていない。


 ちょうど不思議なことで、その式典に出ようとした時にですね、小渕首相の訃報が入ったわけでございます。沖縄の私のもとに入ったわけでございます。もう胸がいっぱいになりました。もう最後の閉会式のセレモニーでしたから、よっぽどその話をしようかと思いました。しかし、みんな喜んでいやー終ったぞ、という式典でしたから、私は申し上げなかったんです。申し上げなかったけれども、みんな自然を大事にしよう、水を大事にしよう、とっても良いことだと思います。

思いますが、地球社会、共生の社会というなら、人の命というのは、どこからきたのか考えよう、この人間の体というものほど、神秘的なものはない、これはやはり神様から戴いたものということしかない、みんなでそう信じようじゃないか。

神様であれ、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい、宗教というのは自分の心に宿る文化なんですから、そのことをもっとみんな大事にしようよということをもっとなんで教育現場でいわないのかな、信教の自由だから、触れてはならんのかな、そうじゃない信教の自由だから、どの信ずる神、仏も大事にしようということを、学校の現場でも、家庭でも、社会でもいわなければならないよということをもっと、私は、もっともっと、日本の国のこの精神論からいえば一番大事なことではないかとこう思うんです。


 私はあまり信心深い方ではないんですがそれでも、朝は、必ず、神棚に水をあげて、そして出て参ります。家にいる限りは。そうすると私の三歳になりましたが、孫が、一歳半から、必ず、一緒にならんでお参りしてくれるんです。今朝も、孫が私のことを先生先生といってくれるんですが、幼稚園に行く前にタッタタと私の寝室にきて、私は、昨日小渕さんのこともあって、大変つかれておったんですが、それでも、孫が起こしにきまして「せんせい」というから、「どうしたの?」というと、「お参りしよう、神様に」というんです。


 これは寝てるときではないなと思って、神棚にお参りした。この子が将来どうなるかは分かりませんが、日曜日には、教会に行っているとのことですので…。神棚にお参りしたり、教会に行ったり、いずれ石川県に行けば、また仏壇にお参りするんだろうと思いますが、要はお参りしようということを、小さな子どもが、お祖父さんがやることによって、覚えてくれる、私は息子や嫁にいうんです。「お前ら一番悪いじゃないか、中間は何にもしない。お前達が何にもしないから、おじいちゃんがやる。そのことによって、ちゃんと孫ができるようになる。」一番大事な家庭のこと、家庭の基本のこと、地域社会のこと、やはり神社を中心にして、地域社会っていうのは栄えて行くんだよということを、みんなでもういっぺん、みんなで、もういっぺん、そんなに難しい話じゃない、であって、そのことを勇気をもってやることが、二十一世紀がまた輝ける時代になるのではないかなということを私は思うんです。こうして全国の皆さん方がお越しの前で、私みたいなこんな余計なことを申すまでもないんですが、立場上、こうしてお話をさせて戴いておるんですが、多くの皆さんに影響力をもたらしてくれる方ばかりでありますので、皆さん方で勇気をもって今の子ども達の社会にもっと神様とか仏様とかということを、そうしたことをしっかりですね、体で覚えてゆく、そうした地域社会を作り出す、秩序ある地域社会を作り出す、そのためにますます皆様方がご活躍をして下さいますよう、またわれわれ国会議員の会も神社本庁のご指導を戴きながら、ほんとに人間の社会に何が一番大事なのかという原点をしっかり皆さんに把握して戴く、そうした政治活動をしていかなければならない。それが私の使命だとこのように思っておるわけでございます。


 たまたま小渕さんが、ご他界になられました。四十三日前にそうしたお立場の中で、私が支え役をしておりました。その中で私はすぐ言ったんです。その小渕さんの跡を戴こうとかそんな事を私は一つも考えておらなかった。私は小渕さんがしっかりやって戴くということを幹事長という立場で、しっかり支えることが私の滅私奉公の立場であっておるんだ、ということを、思っておりましたが、小渕さんがああいうことになって、私が後継になった。そのことが、私は天命と思った。天命ということは神様から戴いた、まさに天の配剤ということであろうかと思いますが、小渕先生が亡くなって、その棺が官邸の前を通って、まわりを回って、そして自宅に帰られた、私はそのことを写真で見ましたが、一点にわかに掻き曇って、そしてにわかに官邸の前を通ったときに、雷鳴があって、私はそのとき思った、何かあったかもしれません。まさに小渕さんはこのとき、天に上られたのか、また天も共に嘆いたのか分かりませんが、いずれにしてもこのとき天命が下ったのかなと思いました。総理大臣になりました時、まさにこう申し上げました。まさに天の配剤だろうと。だからこそ、恥ずかしいことをしてはならない、まさにお天とう様が見てござる、神様が見ていらっしゃるんだということを一つだけ、大事にしながら政治があやまちにならないよう、しっかりと頑張っていきたいと思います。


 ご参集の皆さま、こうして三十年をお祝い下さって、また我が国の行く末を、そして世界の将来をみんなで案じながら、また念じながら、ご指導を賜ることをお願い致しまして、少し長くなりましたが、私の御挨拶とし、御礼を申し上げる次第であります。どうも本日は有難うございました。」

皇紀2660年(平成12年)年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会結成三十周年記念祝賀会 森喜朗内閣総理大臣

まったくもってその通り。

日本は天地開闢以来の神道国、皇道国である。

だからこそ、このような認識をお持ちの森喜朗殿に対して強く批判をしなくてはならない。

「これはテレビがあるからやりにくいんだが、女性理事を4割というのは文科省がうるさくいうんですね。だけど女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。これもうちの恥を言いますが、ラグビー協会は今までの倍時間がかる。女性がなんと10人くらいいるのか今、5人か、10人に見えた(笑いが起きる)5人います。


 女性っていうのは優れているところですが競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分も言わなきゃいけないと思うんでしょうね、それでみんな発言されるんです。結局女性っていうのはそういう、あまりいうと新聞に悪口かかれる、俺がまた悪口言ったとなるけど、女性を必ずしも増やしていく場合は、発言の時間をある程度規制をしておかないとなかなか終わらないから困ると言っていて、誰が言ったかは言いませんけど、そんなこともあります。


 私どもの組織委員会にも、女性は何人いますか、7人くらいおられますが、みんなわきまえておられます。みんな競技団体からのご出身で国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですからお話もきちんとした的を得た、そういうのが集約されて非常にわれわれ役立っていますが、欠員があるとすぐ女性を選ぼうということになるわけです。」

皇紀2686年(令和3年)2月3日、日本オリンピック委員会(JOC)臨時評議員会

別に会議の時間が長くなっても内容があるなら良いではないか。男性だけで凝り固まるよりも女性の視点から意見がある方が遥かに有意義であると思う。

保守派の中には、「印象操作だ。」などと擁護してみたり、挙げ句の果てには中国共産党政府によって迫害されるウイグル(東トルキスタン共和国)を持ち出すという醜態だ。

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森喜朗を庇う為に、中共による虐殺・民族浄化に晒されているウイグルをダシに使うとは言語道断である。その程度の認識の者が本気でウイグル解放の為に中共に対峙するのか私には甚だ疑問だ。

「神の国」発言の中で、森氏は「命の大切さ」を説いている。そうだ、命を尊ばなければならない。無論、森氏自身や保守派の方々も改めて噛み締めるべきだ。口先ではなく行動で示せ。

我々は皇道主義に基づいて天下の万民が平等であることを改めて再確認する。

男尊女尊、それこそ真の神の国である。


閑話

旧暦でも新暦でも10月は神無月と呼ばれるが、逆に神々が集まる出雲では「神在月」と言う。

当然、女神も多数いらっしゃるだろう。森さんは神にも「わきまえよ」と言うのかな。

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