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世界三大映画祭を制した若き巨匠P・T・アンダーソンのすべてが一冊に~『ポール・トーマス・アンダーソン』より「ショットのためなら何でもする」をためし読み公開

 卓抜のショットで観客を魅了する映画作家ポール・トーマス・アンダーソンの傑作(マスターワークス)を読み解く一冊『ポール・トーマス・アンダーソン ザ・マスターワークス』(アダム・ネイマン著、井原慶一郎訳)が10月8日(金)に発売になります。

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 日本劇場未公開の監督デビュー作『ハードエイト』から、ポルノ映画産業の内幕を描き、その名を一躍スター監督の座に押し上げたヒット作『ブギーナイツ』、“21世紀の『市民ケーン』”とも称される『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』、トマス・ピンチョン原作の『インヒアレント・ヴァイス』、そして名優ダニエル・デイ=ルイスを再び主演に迎えた最新作『ファントム・スレッド』まで完全網羅。

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 今年11月には、P・T・アンダーソン監督による長編第9作目『Licorice Pizza』の公開が控えています。出演者には、アラナ・ハイム、クーパー・ホフマン(故フィリップ・シーモア・ホフマンの息子)、ショーン・ペン、トム・ウェイツ、ブラッドリー・クーパー、ベニー・サフディなど豪華面々が集結。

 このたびは本書より、イントロダクション「ショットのためなら何でもする」を先行ためし読み公開いたします。世界三大映画祭を制した若き巨匠は、いかにして映画を撮り始めたのか――。ぜひご一読ください。

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ショットのためなら何でもする

文=アダム・ネイマン 訳=井原慶一郎

 ポール・トーマス・アンダーソンは、1970年6月、ロサンゼルスのスタジオ・シティで、9人兄弟姉妹の7番目として生まれた。彼が子供時代を過ごしたスタジオ・シティは、サンフェルナンド・バレーの南東の端に位置し、現在CBSスタジオ・センターがある界隈を中心にショービジネスの世界にどっぷりと浸かった地区だった。トム・アンダーセン監督による2003年のエッセイ映画『演技する都市ロサンゼルス』のなかで、アンダーセンは、ロサンゼルスという名前は、あまりにも頻繁に「ハリウッド」の同義語として使われてきたために、実際の都市が「映画産業の換喩語」に還元されてしまったと述べている。しかし、スタジオ・シティという名前の由来は、隠喩的なものではない。1927年にマック・セネットが設立した映画スタジオ(現CBSスタジオ・センター)がその名前の由来である。ロサンゼルスの映画遺産の発祥の地ではないにしても、それに近い場所だと言えよう。

 アンダーソンはまたショービジネスと関係深い家庭で育った。彼の父親であるアーニー・アンダーソンは、クリーブランドのテレビ局チャンネル8の番組でホストを務めた地元の有名人だった。彼が創作したグーラルディは、ポストモダンなキャラクターで、年代物のB級ホラー映画やSF 映画を紹介するマッド・サイエンティストを4年にわたって演じた。その独特の喋り方や振る舞いは、深夜番組を見ているビート世代の若者たちを意識したもので、彼らに対する敬意と嘲りが綯い交ぜになって自己言及的に表現されていた。グーラルディは、彼が紹介するジャンル映画を公然と茶化したが、このやり方は、人気テレビ番組「ミステリー・サイエンス・シアター3000」の先駆けとなった。彼の風刺は多方面に向けられ、古臭い文化人(ローレンス・ウェルク、マイク・ダグラス)や、ときには番組の視聴者も――そうした攻撃はもちろん茶目っけのあるジョークの一部だったが――標的になった。

 やがてポール・トーマス・アンダーソンは、自身の制作会社に「グーラルディ」の名前を用いるようになり、アーニーの存在は、息子の映画監督としてのキャリアに大きな影を落とすことになった。批評家たちは、公然の事実として、あるいは直感的な理解によって父親の影響について論じた。ポール・トーマス・アンダーソンの知られざるプロフィールを紹介したエスクァイア誌の2008年の記事は、アンダーソンの映画には自伝的あるいは家族にまつわる事実――『パンチドランク・ラブ』(2002年)の騒々しい姉たち、『マグノリア』のローカル・テレビ局、『ザ・マスター』のアメリカ海軍にまつわるシークェンス(アーニーの従軍経験を反映している)――が多く詰め込まれているにもかかわらず、アンダーソン本人は自身の過去を語るのに消極的であることを指摘している。この記事を書いたジョン・H・リチャードソンは、「彼について語る多くの話は、『彼の若い頃のことはあまり知られていない』という内容を繰り返している」と述べた。それでもなお、リチャードソンは断片的な情報をうまくつなぎ合わせて、偶像化された父親――ロサンゼルスに活動の拠点を移してからはABCのナレーターを務め、近隣のパーティーではなくてはならない存在になった――とテレビ業界に魅せられながら成長したアンダーソンの少年時代を描き出している。アンダーソンは、名門の私立学校に通う、口のうまい、やんちゃな少年だった。12歳のとき、彼は父親からベータマックス用のビデオカメラをもらい、父親やその友人のテレビスターを起用してショート・ムービーを作り始めた。

 「映画小僧」についての話――郊外に住む少年が手持ちカメラで大好きな映画を作り、映画監督になる夢を追い求める――は、よくある話だが、スティーヴン・スピルバーグがその最も有名な原型であろう(J・J・エイブラムスは2011年にスピルバーグへのオマージュ作品『SUPER8/スーパーエイト』を制作し、映画小僧についての神話をブロックバスターSF映画に変えた)。アンダーソンの場合、彼にまつわる挿話は、それほど無垢なものではなかった。友人の1人は当時を思い出してこう語っている。「僕たちはドラッグをやる代わりに、人にいたずらしたり、怒らせたりしてそれを撮影していたんだ」。何度か転校したあと、高校生になった頃には、彼はいっぱしの映画監督として振る舞っていた。若者特有のパロディ映画を量産し、そのうちのいくつかはのちの映画でも利用可能なものだった。高校の最上級生のとき、アンダーソンは実在のポルノスター、ジョン・ホームズをモデルにした『ダーク・ディグラー物語』を制作した。この短編映画は、約10年後に彼を一躍スター監督の座に押し上げたヒット作『ブギーナイツ』(1997年)のための素材を提供した。

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 アンダーソンは、ニューヨーク大学映画学科に入学した頃には、若いベテラン監督のように振る舞っていた。授業の課題で、デヴィッド・マメットの脚本の一部を自分の脚本として提出したところ、C+の評価だったのでばかばかしくなって2日で大学を中退したという話は有名である。彼は、しばらくの間、テレビ業界の制作アシスタント(PA)として働き、クイズ番組での経験はのちに『マグノリア』の脚本に活かされることになった。また、PBS 制作のテレビ映画の制作アシスタントをした際には、その映画で主演を務めていた性格俳優のフィリップ・ベイカー・ホールと知り合いになった。アンダーソンは、マーティン・ブレスト監督によるアクションコメディ映画『ミッドナイト・ラン』(1988年)でのホールの演技を高く評価していた。アンダーソンは彼のために短編映画の脚本を書き、出演を依頼した。その映画『シガレッツ&コーヒー』は、レンタルしたパナフレックス・カメラと自己資金を使って1993年に制作された。当初は数日間の撮影を予定していたが、それが3週間に延びた。当時23歳のアンダーソンは明らかに経験不足だったが、妥協することを頑なに拒んだ。リチャードソンによれば、彼は「10代の頃のモットー――『ショットのためなら何でもする』――に未だに忠実だった」。しかし、その結果はおのずと明らかだった。サンダンス映画祭で披露された『シガレッツ&コーヒー』は、批評家の称賛と業界の注目を集め、翌年の夏、アンダーソンは、サンダンス・インスティテュートで、のちに『ハードエイト』となる長編映画の脚本を執筆した。

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 アンダーソンの映画において、文字どおり、あるいは比喩的な父子関係が多く描かれることは――『ハードエイト』の代理父の物語から始まり、『マグノリア』では父親としてのペーソスが複数化されて描かれる――批評家によって彼の一連の作品を読み解くためのロゼッタストーン(理解の手掛かり)だと見なされてきた。また、別のアプローチは、アンダーソンと主人公との相関関係――ジョン・C・ライリーが演じる『ハードエイト』の不運な主人公(指導者を求める物覚えの早い生徒)から始まり、前述のアンダーソン=レイノルズ・ウッドコックという命題まで――を明らかにすることである。監督のドッペルゲンガーは映画の至る所に現れている。『ファントム・スレッド』のある場面で、レイノルズはアルマに、子供の頃、服の裏地にさまざまな物――「私しか知らないもの」――を隠すことを覚えたと語る。『ブギーナイツ』もそうした読みを求めている映画であり、アンダーソンの分身は、待望の新人男優エディ・アダムス/ダーク・ディグラー(マーク・ウォールバーグ)と、老練な映画監督ジャック・ホーナー(バート・レイノルズ)の両者に振り分けられている。『マグノリア』には、アンダーソンの直接的な代理は登場しないものの、この作品に充溢した千年紀に対する不安は、創造的自由が与えられているうちに何とか傑作を生み出そうとする、当時30歳だった脚本家/監督の焦りの表現として解釈することができる。

 そこから、『パンチドランク・ラブ』(奇妙なスクリューボール・コメディ)という迂回路をへて、アンダーソンの作品は、歴史的な時代――『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の油田採掘事業、『ザ・マスター』の20世紀半ばの集団心理療法、『インヒアレント・ヴァイス』のサマー・オブ・ラブの残響――を背景にした偏執的な個人の性格描写へと向かうが、そうしたルート変更も、別の作家主義的な読みを支える基盤として機能してきた。ニック・ピンカートン曰く、アンダーソンは「目的を見失った個人の運命と、アメリカの知られざる悲しい生活を記録する歴史家であり、年代記作者」なのである。アンダーソンのキャリアを俯瞰した批評の多くは、デビュー作から最新作までの全作品に芸術家としての成長を認め、まっすぐな進化――あるいは複数の進化――の過程を提示している。アンダーソンが、剝き出しの野心と安定したテクニックを持つ、虚勢を張った若者から、より高度で独創的なスタイルを持つ中年へ――新人からベテラン、見習いからマスターへ――と進化してきたという議論には説得力がある。

 この論理に従えば、『ファントム・スレッド』は、アンダーソンの最も「円熟」した傑作だということになる。しかし、この映画は、皮肉たっぷりの自己言及性によって、過度な作家主義的な称賛は慎むべきだと仄めかしてもいるのである。「統御力(mastery)」というのがこの映画における中心的で、なおかつ脆弱な概念であり、専制的で畏敬の対象になっているレイノルズが、最終的には、結婚することを恐れるマザコン男だということが明らかになることで偶像破壊がおこなわれているのだ。彼は、結局のところ、ジョークの対象かもしれないが、献身的なアルマの目を通して見れば、愛すべきジョークである。アンダーソンの語る逸話――彼が病気で寝込んでいたときの妻の振る舞い――が、この映画の神秘的な曖昧さを取り除いたように、同じ時期のインタビューで述べた彼の告白――主人公の名前は数ヵ月にわたる監督と主演俳優とのあいだの冗談交じりのメールのやり取りから生まれたこと――は、この映画の構想においてジョークが重要な役割を果たしていることを示唆している。「ダニエル(・デイ=ルイス)と僕は、どんな名前がいいかとお互いテキストをやり取りしていた。そして、彼がそれを思いついた。その名前を見た瞬間、コーンフレークを喉に詰まらせて死ぬかと思ったよ」アンダーソンはGQ誌にこう語った。彼は、ウェブサイト、ヴァルチャーとのインタビューのなかで、その経緯をさらに詳しく述べている。

僕たちは、名前を考えようとしてテキストをやり取りしていたんだ。ティーンエイジャーみたいに冗談を言い合いながらね。……他の名前はどうもしっくりこなくて困っているときに、ダニエルからテキストが送られてきた。「レイノルズ・ウッドコック〔=木製のペニス〕」。大西洋のこちら側とあちら側で僕たちは同時に腹を抱えて笑った。本当に笑いすぎて涙が出てきたくらいだ。僕はこう思った。「こんな名前いくらなんでもダメだろ? 無理だよ。でも――絶対にこれでいくべきだ!」ってね。ダニエルに電話したら、彼も僕と同じくらい笑っていた。僕は彼に言った。「この名前でいくべきだ。これで脚本を書かせてほしい。とにかくこの名前で進めてみよう。そしてうまくいくかどうか様子を見ようじゃないか」と。

(この続きは、10月8日(金)発売『ポール・トーマス・アンダーソン ザ・マスターワークス』にてぜひご覧ください)

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《書誌情報》
『ポール・トーマス・アンダーソン ザ・マスターワークス』
アダム・ネイマン=著 井原慶一郎=訳
B5変型・並製・オールカラー288ページ
本体4,500円+税 ISBN: 978-4-86647-155-6
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK300

〈内容紹介〉
■名場面スチール/描き下ろしイラスト/映画ポスターなど豊富なビジュアル300点&PTAの共同制作者たちのインタビューも収めた豪華決定版。

「カメラがプールに入る瞬間にカットしていると思われているが、そうではないんだ。私たち――グリップのジョーイ・ディアンダと私――は水中マウントを取り付けたカメラを持って、実際にプールに飛び込んでいるんだよ。少し経ってから水面ぎりぎりのところにカメラを出して、ショットを続けるようにしてね」
――ロバート・エルスウィット(撮影監督)、『ブギーナイツ』のプールの場面について

「その場面についてあとでポールに尋ねたとき、私は「あなたは知っていたはずだけど、この場面には終わりがないと感じたわ」と言いました。彼は「君の言うとおり。こうしたことが起こるのを期待していたから、明確な終わりはあえて書かなかったんだ」と答えました。こういうところがポールの天才的なところだと思います」
――ヴィッキー・クリープス(俳優)、『ファントム・スレッド』でのアドリブについて

■序文は、米インディペンデント映画界で大注目のジョシュ&ベニー・サフディ(『グッド・タイム』『アンカット・ダイヤモンド』ほか)。

「私は10代の若者で、フィリップ・シーモア・ホフマンが演じる件の場面(「僕は大バカ(fuckin' idiot)だ!」)を繰り返し見たのを覚えている。私はビデオでその場面を見て――その場面だけを何度も繰り返して見て――その意味を「理解」しようとしていた。そこには、「ハリウッド・スタイル」で語られた映画のなかに、普遍的な人間性の表現があった。それは深い人生経験を感じさせる表現だった。とても26歳の若者が作った映画とは思えなかった」
――ジョシュ&ベニー・サフディ

■コラム「PTAのムービー・コレクション」では、ロバート・アルトマン、マーティン・スコセッシなど、P・T・アンダーソンに影響を与えた過去作品との関係をひも解く。

■レディオヘッドやハイムほか、PTAが監督したミュージック・ビデオも紹介。

〈目次〉
序文(文=ジョシュ&ベニー・サフディ)
イントロダクション

第1章『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』
第2章『ザ・マスター』
第3章『インヒアレント・ヴァイス』
第4章『ブギーナイツ』
第5章『ハードエイト』
第6章『マグノリア』
第7章『パンチドランク・ラブ』
第8章『ファントム・スレッド』

『JUNUN(ジュヌン)』&ミュージック・ビデオ

インタビュー
ジョアン・セラー(プロデューサー)
ディラン・ティチェナー(編集技師)
ロバート・エルスウィット(撮影監督)
ジョニー・グリーンウッド(音楽)
ジャック・フィスク(美術監督)
マーク・ブリッジス(衣装デザイナー)
ヴィッキー・クリープス(俳優)

《緊急決定》
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