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音楽を「録音する」こととは? 5刷重版記念!『細野晴臣 録音術 ぼくらはこうして音をつくってきた』より「はじめに」を公開!

はじめに 音楽を「録音する」ということ

 初めて、細野さんの音楽に触れた日は、一体いつだったのだろう?
 物心つき、気づいたときには『ホソノ・ハウス』のレコード盤が実家にはあった。姉が買ったものとばかり思っていたが、先日、問い直したら買った覚えはないという。どこから迷い込んできたのだろうか?
 高校時代、その『ホソノ・ハウス』を、よく聴いていた。実家は、女子高のすぐ裏手にあり、ぼくは二階にある勉強部屋の窓を解き放って、校庭に響くような大音量で、冒頭の「ろっかばいまいべいびぃ」をかけた。そこには大きな桜の木があり、風が吹くとザワザワと揺れた。その葉音と細野さんの声。ふたつの音はほどよく交じり合い、ぼくのこころも大きく揺れた。
 その後、大学進学で上京し、青山にあったレコード店「パイドパイパーハウス」を訪ねる。店主の長門芳郎さんが、かつて細野さんのマネージャーだったことを、ぼくは知らなかった。折しも、世の中的にはイエロー・マジック・オーケストラの大ブーム。でも、ぼくは、お金を貯めては、ぽつりぽつりと細野さんのソロ・アルバムを買い集めていった。そして、細野さんのサード・アルバム『泰安洋行』に出逢う。
 そのアルバムを初めて聴いた日のことは、とてもよく覚えている。
 当時、西荻窪のアパートで暮らしていたが、買ったその日の夜、ジャケットを開封し、レコード盤をターンテーブルに乗せた瞬間、衝撃が走った。一晩中、何度もレコードをひっくり返した。
 翌朝まで、ぼくはなぜか立ったままで、ずっとずっとその音楽を聴いた。
 なぜ、何度も聴いたのか?
 それは、その音楽がわからなかったからだ。

細野晴臣さんと著者・鈴木惣一朗(写真:『細野晴臣 録音術』より)


 なぜ、こんなにも自分を夢中にさせるのかわからなかった。わからないから、夢中になった。
 けれど、アルバム全体を包むサウンドそのもの、楽器のひとつひとつの響きは美しいと思った。
 そしてもはや、これは日本のポップスではないな、ひとつの洋楽なんじゃないかという結論に辿り着く。『泰安洋行』のサウンドは、それほど、ぼくがそれまで聴いてきた日本のフォークやロックとは違っていた。そして次第に「細野さんに会ってみたい」と思うようになっていった。この不思議なアルバムを作った当事者に会って、なんでこんな音楽を作ったのかを、心の底から訊いてみたいと思った。
 『泰安洋行』を聴いたショックからしばらくして、ぼくも手持ちの粗末な機材類(4トラックのカセットレコーダーとシュアーのマイクひとつ)で、自分の音楽を作ってみようと、自宅録音を開始した。録音手順はシンプルなもので、まずひとつのトラックに何かフレーズやコードを入れ、それを聴きながら、思いついたオブリガードを重ねる。そして、さらに、別のオブリガード。最後のトラックには、まったく関係のないラジオのノイズ音や、映画の台詞などをコラージュした。つまり、その音楽は純粋な(歌もの)ポップスというわけではなく、実験音楽という括りのものだったと思う。しかしながら、ミックスダウンの際には、ひとつのポップスとして、聴きやすい音楽を目指した。そうして作られた赤子のような音(デモテープ)をあちこちに送った結果、坂本龍一さんや久保田麻琴さんたちが気に入ってくれ、その後、細野さんの耳へと届くことになる。そして、ぼくは幸運なことに、細野さんが立ち上げたレーベル「ノン・スタンダード」から、プロデビューで
きることになった。
 プロの音楽家になってまず驚いたのは、ぼくの周りの音楽家の多くが、細野さんのベース・テクニックや、リズム&コードボイシングの構造、シンセサイザー等のハードウェアの使い方を解明研究していることだった。細野さんの音楽に挑んでゆく彼らを、素朴な気持ちですごいと思った。けれど、ぼくは、そんなことをしようとは思わなかった。なぜだろう。今までも、今も、細野さんのサウンドを解明しよう、再現してみよう、超えようと思ったことはない。よって、『録音術』と銘打つ本書もそういう類の本ではない。ぼくにとっての細野さんの「録音術」とは、ある意味「忍術」のようなもの。「細野さんの音楽は、やはり細野さんだからできること」。これは、ずっと思っていたことだ。
 初めて『泰安洋行』を聴いたあの日のように、ぼくは、圧倒的な細野さんの音楽世界の前で、圧倒されたままの無邪気な自分でいたい。
 そんな気持ちを細野さんの関係者に話していくと、ぼくと同じような気持ちの人たちがいることに気がついた。それは、音楽家ではなく、エンジニアという職種の方々だった。

飯尾芳史氏は、学校のお昼休みに『レコード・プロデューサーはスーパーマンをめざす』と本屋さんで出会い、その足で、「アルファレコード」に向かった(『細野晴臣 録音術』の飯尾芳史インタビューより)


音楽家とエンジニア

 今回、なぜ、エンジニアの方々にインタビューしようと思ったのか。それは、テクニカルなハードウェアの使い方、エンジニアリングの話をしながらも、ぼくと同じように細野さんの音楽に、しかも、その現場にいて圧倒された方々と話すことで、ある真実が見えてくると思ったからだ。きっと、細野さんの音楽の最大の魅力や楽しみ方を教えてもらえるに違いない。
 そして、ぼくは自身の音楽キャリアを通じてこう考えている。
 優れた音楽家は常に迷っている。答えのない音作りにおいて、作曲において、アレンジについて。その音楽家と悩みを共有し、音楽家に寄り添い、完成品に向けて録音をするエンジニアの方々の考え方を知っておくこと、それを書き残しておくことこそ、未来の音楽(音楽家)への何かの布石になるのではないかと。
 「自分と同業者のために音楽をつくっている」と公言してきた細野さんの録音作品(本書はぼくの考える純然たるソロ7作品を取り上げた)は、まさにその適切な教材となるだろう。そして、それはポップスの録音史を辿ることにもなる。細野さんがデビューした60年代後半は、歌謡曲からフォーク、日本のロック創成期の音作りへと移る時代。その後、スタジオ機材やコンソールの変遷も経験し、80年代以降はアナログからデジタルへ。音楽ジャンル的にもテクノ、ニューウェイヴ、アンビエント、トランス、エレクトロニカ……。激動のレコーデング発展史とともに、あらゆるジャンルの音楽を咀嚼してきた音楽家が細野さんなのだと思う。

  
 本書のインタビューでは、以下のようなことに気をつけた。
①エンジニアの個性に注目すべく、どうして業界に入ったのか、どんな音楽が好きなのかも語っていただく。
②テクニックなど技術的な質問は最小限にして、細野さんとどう接したかについて訊く。
③現在の読者からはイメージしづらい、音楽業界を取り巻く時代背景やスタジオ風景が読者にも伝わるよう、細野作品だけでなく、その前後の担当作品などについてもうかがう。
④世代の違うエンジニアにインタビューするなかで、「音」に対する考え方の違いなども浮き彫りになるようにする。
 吉野金次さん。田中信一さん。吉沢典夫さん。寺田康彦さん。飯尾芳史さん。原口宏さん。原真人さん。細野さんの音を支えた、いわば七人の音の侍たちだ。
 細野レコーディングの懐かしい記憶を巡る旅は、それぞれのエンジニアの方々の、それぞれのアルバムへの忘れかけていた懐かしい想いを呼び起こすだろう。そして、そこには、新たな発見もあるはずだ。今回、ぼくが中継役になって、その声を細野さん自身に返してあげよう。さらには、メーカーの倉庫の奥に眠るマスターテープやマルチテープたちにも会いに行こう。
 録音した人たちと録音されたものたち。
 音楽の巡礼の旅のような、本書の制作には、一年半という時間がかかった。ぼくは、細野さんのアルバムを手がけたエンジニアの方々に、ひとりずつ会っていった。家に戻り、取材テープを何度も聞き、発言のひとつひとつを咀嚼する。細野さん自身にもアルバムそれぞれを振り返ってもらった。

『トロピカル・ダンディー』『泰安洋行』
オリジナル・マスターテープ/外箱(写真:『細野晴臣 録音術』より)


 パッケージとしての録音芸術(レコードやコンパクト・ディスク)は、今や風前の灯なのだろうか。サブスクリプション型の配信サービスがメインとなり、音楽家たちは、そのシフトをライヴ&パフォーマンスに軌道修正しつつもある。もともと、録音芸術の歴史は、シート・ミュージックから始まったもの。だから、本来の姿(音楽は、形ないものだった)に戻っただけという見方もある。だからこそ、細野さんの音楽を通して、音楽を録音するという行為の尊さ、録音された音楽を聴く楽しさ、パッケージングされた記録物、それを手にしたときの多幸感を、今一度、噛み締めてみたいと思った。「古い奴だと、お思いでしょうが……」、これがぼくの本音です。


 昔から、音楽は「時間芸術」といわれている。発せられた音は、自然なスロープを描き、沈黙の世界へと消えていく。けれど、細野さんの音楽は、音が鳴り止んでも、その宿命を破り、ぼくたちのこころに、いつまでも、いつまでも響いている。そして、「音楽っていいな」という、子どものような気持ちへといつだって回帰させてくれる。

                             鈴木惣一朗

《書誌情報》
『細野晴臣 録音術 ぼくらはこうして音をつくってきた』
鈴木惣一朗 著
A5版・並製・296ページ
ISBN 9784907583699
本体2,500円+税
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/DUBK088

鈴木惣一朗(すずき・そういちろう)
1959年、浜松生まれ。音楽家。83 年にワールドスタンダードを結成。細野晴臣プロデュースでノン・スタンダード・レーベルよりデビュー。デヴィッド・バーンやヴァン・ダイク・パークスからも絶賛される。近年では、南壽あさ子、ハナレグミ、中納良恵、湯川潮音など多くのアーティストをプロデュース。直枝政広(カーネーション)によるユニット、Soggy Cheerios(ソギー・チェリオス)としても活動中。執筆活動や書籍も多数。95年刊行の『モンド・ミュージック』は、ラウンジ・ブームの火付け役となった。『耳鳴りに悩んだ音楽家がつくったCDブック』(DU BOOKS)、 細野晴臣との共著に『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社)などがある。


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