『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』より、ディスクガイド「ディラ・ビーツの基本を知る10枚・深層に触れる10枚」を全文公開
天才ビートメイカーの創作の秘密を探る『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』(ジョーダン・ファーガソン著、吉田雅史訳・解説)より、巻末付録の「ディラ・ビーツの基本を知る10枚」「ディラ・ビーツの深層に触れる10枚」を全文公開いたします。執筆者は本書訳者にして、批評家/ビートメイカー/ラッパーとしても活躍する吉田雅史さん。ぜひご覧ください。
ディスクガイド A-side
――ディラ・ビーツの基本を知る10枚
〈Bullshit〉や〈Y? (Be Like That) [Jay Dee Remix]〉などでクラッピーなスネア、サイン波ベース、鍵盤のウワモノというディラの方程式が堪能できる1枚だが、同時に〈Drop〉のMVでも踏襲される逆再生や、永遠のクラシック〈Runnin'〉のネタの組み合わせの妙といったアイディアに溢れた作品。〈Runnin'〉で示されているのは、やがて分裂するとは思えないメンバー4人のハーモニーをここまで引き出すことができるのも、またビートであるということだ。
ディラの名がクレジットされているのは、ピッチを落としたザ・サークルのコーラスから別々の部分をつないだ〈Get a Hold〉や、ギターのカッティングをMPCで演奏してしまった〈Keeping It Moving〉、そして何とも表現しようがない言葉遊びの無限性にどこまでも堕ち込んでいくようにアンニュイな〈Word Play〉。本書ではディラがトライブを破壊したとの非難に言及しているが、むしろ彼らに単なるニュー・スクーラーに留まらない新たな方向性を与えたのがディラだったのだ。
ディラの方程式が満載の教科書的な1枚。リリースの見込みもないまま「演習」として取り組んだバスタやダス・エフェックス、アーティファクツらのリミックス集。なかでも白眉はディアンジェロの〈Me & Those Dreamin' Eyes〉で、デイヴ・グルーシンの文字通り夢見るようなローズサウンドに、JBの掛け声がある種の歪さも付け加える。それでいてディアンジェロの歌メロと見事にフィットしているところに、歌モノも得意とするディラの耳の良さを改めて痛感させられる。
当時渋谷のレコ街で〈I Don't Know〉が話題になったとき、皆の反応は「一体何なんだこのビートは?」だった。スムースさと歪さを兼ね備えたサウンドは、いまだに類をみない。ディラのビートが先導する3人のラップも、ローションの上をのたうつようなモタりとグルーヴを兼ね備える。一生聴いていたい〈Players〉や〈2U4U〉に加え、〈Tell Me〉〈Climax (Girl Shit)〉や〈Get Dis Money〉のようなメロウなビートにナスティなラップの組み合わせも眩しい、正真正銘のクラシックアルバム。
ディアンジェロやジェイムズ・ポイザーとのソウルクエリアンズによる冒頭の〈Time Travelin' (A Tribute to Fela)〉、そしてディラ単独プロデュースの〈Heat〉が、ゾクゾクするような新しいチャプターの幕開けをはっきりと示している。ここではすでに、過去の生演奏のサンプルと現在形のそれとの境界が溶解している。ボビー・コールドウェルがサンプリングされたメロウな〈The Light〉は、本書の終盤の一場面を想像する読者には、決して忘れられない1曲となるだろう。
ディラのアーティストとしての立場を確立したソロ作。生楽器の導入によりライブ感が増幅すると共に、リズム面に一層重心をかけ、ディラはビートメイカーからドラマーへと変貌を遂げている。なかでもドナルド・バードのカヴァー〈Think Twice〉の生演奏と打ち込みの絶妙な融和と、〈B.B.E. (Big Booty Express)〉や〈Shake It Down〉のヨレた16分のハットや電子音がなければ、ロバート・グラスパーのモードも、フライング・ロータスとLAビートのメソッドも存在しなかったかもしれない。
「カセットのようなリアルなサウンド」というディラ本人のステイトメントから幕を開ける1枚。ディラといえばスムースでメロディアスなビートを想起するリスナーが多いなかで、メジャーレーベルへのストレスや、ネイティヴ・タン/バックパッカーとカテゴライズされることへの反発をそのまま音に封じ込める。〈Reckless Driving〉のラグドなフューチャー感、〈Nothing Like This〉の奇妙なオルタナ感、〈The $〉の軽快なファット感。次々と押し寄せる新奇サウンドに窒息せぬよう。
ディラとマッドリブ、互いに唯一無二のパートナーとの邂逅への歓喜をそのままパッケージした結果、ふたりのいつになくアッパーな表情が窺える1枚。フランクン・ダンクとつるむナスティな〈McNasty Filth〉、プリミティヴなブレイクビーツが疾走するファンキーな〈Champion Sound〉、ギャップ・マンジョーネとディジー・ガレスピーを掛け合わせた〈The Official〉など、マッドリブのビースティなビートの上で、間をふんだんに取りながらも実に堂々としたディラのラップにも注目。
改めてディラの膨大なビート・カタログの中に本作を位置付けようとして痛感するのは、31のビートひとつひとつが、不思議と他とは似て非なる独特の存在感を発揮していることだ。それでいてシームレスな展開、反復されるテーマなどによって、全作品中で最も入念に1枚のアルバムという形に束ねられているのもまた本作の特徴だ。聴けば聴くほどに新しい発見のある本作を、DJシャドウの《Endtroducing》を引き合いに出して説明しようとしたPBWは正しい。
ディラの生前に大部分は作られていたが、残りをカリーム・リギンスが完成させた、豪華MC陣をフィーチャーしたラップアルバム。コモンがライムするヘッドバンガー〈E=MC2〉は、太いビートにシンセベース、得意のチョップ、ピッチをいじった声ネタで、ディラの新たな代表曲に。カリームのドラムが炸裂する〈Jungle Love〉に膝を打ち、〈Dime Piece〉のメロウネスにとろけ、〈Over the Breaks〉でディラのビートの上空に永遠の宇宙を幻視する。
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ディスクガイド B-side
――ディラ・ビーツの深層に触れる10枚
ファット・キャットとのユニット唯一の公式リリースで、ディラの最初のコマーシャルなクレジットが刻まれた1枚。A面〈A Day Wit the Homiez〉はジョー・サンプルのメロウなネタにファット・キャットの鼻歌がフィットする、当時の西海岸ライクなチル・ジョイント。B面の〈Front Street〉はスペイシーでドリーミーなウワネタのコード感と、ハイをカットしたキックにクラッピーなスネアと、この時点ですでにディラのトレードマークとなるサウンドの萌芽がある。
表題曲でアーマッド・ジャマルの〈Swahililand〉をサンプリング、3小節ループの楽曲に。素晴らしいループを引き当てたのは、ゴールド・ディガーたるレコード掘り師の面目躍如だが、同曲の8分を超えた箇所に眠っていたソースを掘り起こしたところにその慧眼を示している。DJスピナがジョック・マックスと組んだリミックスも、ケニー・バロンのエレピ、ベースラインとアタッキーなスネアの方程式がディラへのアンサーのような、しかしスペイシーで奇跡的な出来の逸品。
〈The Rhyme〉のジ・アマー名義のリミックスを収録。ビル・エヴァンスのエレピをフィーチャーしたディラの方程式の威力が遺憾なく発揮された1曲。リミックスだがキース・マーレイのハスキーなフロウとの相性も抜群。もう一方の収録曲〈Dangerous Ground〉もディラ方程式に則り、平行移動するエレピのコードの浮遊感とサイン波ベースの暴力が印象的。フックではまた別のループを配置し、ラストヴァースではドラムとベースのみが支えるという珍しく展開多き1曲。
ディラがプロデュースした3曲入りのEP。〈Don't Nobody Care About Us〉では、エリック・サティの曲をMoogでプレイするカルト盤からサンプリングしたフューチャー・ファンク。白眉は〈Microphone Master〉で、何とキング・クリムゾンの〈Moonchild〉からロバート・フリップのギターが印象深いメランコリックな一節をサンプリング。本書でも言及されているように、ソースを選ばず何からでもサンプリングするディラの特性が表れている。手弾きのベースラインの巧妙さも要チェック。
クエストラヴが指摘するように、ロイ・エアーズの歌と語りの間隙を狙い撃ちするようにサンプリングして、パズルのピースをはめるように再構成したループがすべてのビートメイカーの度肝を抜く1曲。このネタの制約と、憧れのピート・ロックのパクリになるという二重の制約があったからこそ、クリエイティヴィティの自由が発揮されたと言えよう。それにしてもメジャーキーの原曲から、なぜここまでクールな哀愁を帯びたビートが生まれ得るのか。
盟友ワジードのレーベルからリリースされた未発表インスト集。ラストを飾る〈Trashy〉が出色の出来。彼のカタログの中でも特に泣ける1曲。スタンリー・カウエルのピアノとビートのシンプルな組み合わせだが、とにかくディラのネタサーチ力を痛感させられる(原曲の終盤の部分のフリップ!)。他にもミニマルな〈On the 1〉、ゲイリー・バートンのヴァイブをループさせた〈Circus〉、ディアンジェロのリミックスのインスト〈Dreamy〉など聴きどころ多し。
タイトル通り、冷血な鋼のような硬質さとヘヴィさを湛えた、ディラのゴリゴリな面を代表する1曲。腰に来るビートがディラのトレードマークだったが、常にスタイルを更新する彼らしく、ここへ来てヘッドバンギングを煽るラグドネスが盟友ファット・キャットのハードなライムとぶつかり合う。B面の〈Nasty〉も同系統のヘッドバンガーで硬派に畳み掛けるが、本書でもメンションされていた冨田勲ネタがスペイシーな奥行きを与えている。
ディラがツアーで訪れた日本を気に入ったことから編集されたという1枚。本書でも何度か言及されているディラが普段から作っていたミックステープを思わせる、生々しい着想に牽引された短いループで構成されている。良い意味での統一感のなさが、何よりもディラの制限されない自由なマインドを象徴している。小刻みなチョップが超モダンな〈Oh Oh〉や〈Yesterday〉、ソウルフルな〈Believe in God〉〈In the Streets〉は《Donuts》の延長のようにも。
元々はMCAからのラップソロアルバム《Pay Jay》として2002年に制作されていた1枚。様々なビートメイカーたちのディラの乗りこなし方に注目しつつ、ディラのストリートサイドを露出する〈Gangsta Boogie〉では何とスヌープが客演。〈The Ex〉では憧れのピート・ロックがディラの方程式に解答を寄せる(ブーンバップにウワネタのコード、動き回るベースライン!)。疾走するブレイクビーツにディラのストレスが炸裂するクラシック〈Fuck the Police〉も収録。
本書のクライマックスでは、何年分ものリリースに耐え得るビートたちをマ・デュークスが取り戻す場面が描かれているが、ディラが生きているのかと錯覚するほど、2018年現在も相変わらずリリースは続いている。本作はそのマ・デュークスのセレクトによるビート集。喘ぎ声サンプルの〈663〉、アナザー方程式クラシック〈764〉〈1071〉、トライブのあの曲の原型〈369〉など聴きどころ多し。ディラは決して尽きることのない鉱脈を残してくれたのだ。
(転載にあたり、動画を加えています)
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《Donuts》のリリース記念日およびJ・ディラの誕生日である2月7日にピーナッツ・バター・ウルフが投稿した写真。2枚目は本書でも言及されている、J・ディラがPBWに手渡したビートCD。
書誌情報
《内容紹介》
ヒップホップ史に輝く不朽の名作《Donuts》には、J・ディラ最期のメッセージが隠されていた――
Q・ティップ、クエストラヴ、コモンほか盟友たちの証言から解き明かす、天才ビートメイカーの創作の秘密。
地元デトロイトのテクノ~ヒップホップシーン/スラム・ヴィレッジ結成/Q・ティップ(ア・トライブ・コールド・クエスト)との出会い/ソウルクエリアンズでの制作秘話、同志マッドリブとの邂逅/そして病魔と闘いながら作り上げた《ドーナツ》まで、32歳の若さでこの世を去った天才ビートメイカー、J・ディラが駆け抜けた短い生涯とその音楽に迫る。
日本語版のみ、自身もビートメイカーとして活動する本書訳者・吉田雅史による解説(1万2千字)&ディスクガイドを追加収録。
目次
序文 文:ピーナッツ・バター・ウルフ
第1章 Welcome to the Show――《Donuts》の世界へようこそ
第2章 The Diff'rence――デトロイト・テクノからヒップホップへ
第3章 Hi――スラム・ヴィレッジ結成
第4章 Waves――ビートメイキングは連鎖する
第5章 Stop!――批評とは何か? 解釈とは何か?
第6章 The Twister (Huh, What)――グループからソロへ、デトロイトからLAへ
第7章 Workinonit――車椅子の偉大な男
第8章 Two Can Win――「これはハイプではない」
第9章 Geek Down――ビートを通して死に触れる
第10章 The New――ディラ流「晩年のスタイル」
第11章 Bye――《Donuts》という永遠の環
解説――《Donuts》をよりおいしく味わうために
ディスクガイド
A-side ディラ・ビーツの基本を知る10枚
B-side ディラ・ビーツの深層に触れる10枚
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2024年3月追記:吉田雅史さんと荘子itさん(Dos Monos)の共著『最後の音楽:|| ヒップホップ対話篇』が発売されました。
逸脱こそ王道!
J・ディラ、RZA、カニエ・ウェストほか
ヒップホップの偉人/異人から考える「新しい」の創り方
■ヒップホップ・グループDos Monosのメンバーとして、台湾のIT大臣オードリー・タンや小説家の筒井康隆との共演歴もあるトラックメイカー/ラッパーの荘子itと、『J・ディラと《ドーナツ》のビート革命』の翻訳者としても知られる批評家/ビートメイカー/MCの吉田雅史が、生誕50周年を迎えたヒップホップの核心に迫る対談・鼎談集。
■J・ディラ、マッドリブ、カニエ・ウェストらのビートメイクの革新性や、2017年作『DAMN.』でピューリッツァー賞の音楽部門を受賞したケンドリック・ラマーのリリックなどを取り上げ、ヒップホップの面白さ・特異性・人気の秘密ほかについて徹底議論。また、荘子itによる自曲解説も交えた創作論も読みどころのひとつ。
■ゲンロンカフェで行われた白熱のトークイベントを再構成したものに、新規対談や書きおろしコラムを追加収録。
■豪華鼎談ゲスト:さやわか、菊地成孔、後藤護、Illicit Tsuboi
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