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ジェームズ・キャメロンとギレルモ・デル・トロは大親友!『ギレルモ・デル・トロ創作ノート 驚異の部屋』まえがき全文を掲載!

好評発売中🚀『SF映画術』の中でも、ギレルモ・デル・トロとSF談義を繰り広げているジェームズ・キャメロンですが、ご存知の方もいる通り、彼らはとても仲良しです。その事実を示すのが、デル・トロの創作ワールド全開で好評の『ギレルモ・デル・トロ創作ノート』のまえがき。キャメロンが自ら筆を取り、友人デル・トロについてしたためています。本日はその全文をご紹介します♪ もうべた褒め❤


まえがき:マエストロ賛歌

 あなたが手にしている“芸術品”は、驚くべき頭脳が持つ緻密で複雑な世界への新奇な入口だ。ギレルモ・デル・トロの創作ノートが、レオナルド・ダ・ヴィンチの写本と比較されるのには、それなりの理由がある。どちらも、それぞれの時代、いやおそらくあらゆる時代を通じて、類い稀なる天才の創造的プロセスを示すものだからだ。映画界でギレルモになぞらえられる者はいないし、事実、彼を単に「フィルムメーカー」と説明するのは、あまりにも言葉足らずと言えるだろう。膨大かつ繊細なヴィジョンを持つアーティストの彼は、たまたま“現代”という高度で複雑な技術が発達し文化が幅広く普及した時代で、”キャンバス”に向かっているに過ぎない。時代が違っていれば、作業には卵テンペラと羽根ペンを用いていただろう。そしてきっと同じように、人々に大きな影響を与える作品を世に送り出していたはずだ。20世紀後半に生を享けたがゆえに、絵筆はカメラレンズとアニメーション・ソフトウェアとなり、羊皮紙はPCのモニターになった。そんなギレルモの潜在意識からこんこんとあふれ出した物語やは、流れるような筆致で描かれたイラストや、ページを埋め尽くす記述の中で瑞々しさを失うことなく、今にも蠢き出しそうなほどの生々しさを保っている。その図説や文章は、やがて実現する彼の映画や本の青写真としての役割を果たす。
 ギレルモのヴィジョンは、人心の漆黒の深淵に通じ、そこに潜む何かを見据える自身の才能に因るものだろう。生活の中の秩序だった妄想と折り合いをつけるために、我々が葬っている”闇”に、彼は真摯に向き合う勇気を持っている。多かれ少なかれ誰もが狂気じみた側面を抱えており、単に人としての最も機能的な部分がそれをうまく隠しているだけなのだ。しかし、我々は悪夢の中で、不安によって増幅された己の狂気の真実を突きつけられる。しかもその不安とやらも、あまりにも内側に深く根ざしすぎていて、憂いの種が何なのか言葉にすることすらできない。我々が恐れ、隠そうとするそんな領域こそ、ギレルモにとっては”遊び場”なのだ。不気味でグロテスクなものに対して悪魔的な笑みを浮かべつつ、彼は我々の負の領域を大いに楽しむ。言うなれば、彼は潜在意識のサンタクロースであり、イド(精神の奥底にある本能的衝動の源泉)の宮廷道化師。『神曲』の作者ダンテに影響を与えた冷静沈着な古代ローマの詩人ウェルギリウスよりも、我々に地獄を正視させる悪夢の迷宮への案内人でもある。それはひとえに、ギレルモの機知と、アイロニー、とりわけ思いやり溢れる人柄に所以する。
 彼は我々の手を取り、階段を降り切った暗がりに潜んでいるはずの怪物――自分自身の倫理観――に向き合わせてくれるだろう。こちらの最大の不安を表に引きずり出し、スクリーンに力いっぱい叩きつけるのは、恐怖の歪んだ形を実体化することで、そのパワーを奪えると知っているからだ。
 ギレルモのアートは、あらゆる美と戦慄の中で、勇猛果敢に人生に立ち向かう。子供のような驚きと恐れを抱いた目で、彼は物事を見つめる。ギレルモの創作ノートは潜在意識の地図、映画は我々の夢世界への扉となり、皆がそれぞれの心の奥の闇にあるものと対峙し、闘い、勝利を収めることを可能にする。

 彼の映画は、どれも、宝石をちりばめた精密機械だ。しかも、驚嘆を禁じ得ないディテールと息を呑むほどの素晴らしいデザインを兼ね備えれている。幸運にも、私は彼の創作仲間の輪にいることができ、各々の作品が生み出され、形になっていく過程を目の当たりにしてきた。もちろん、『メフィストの橋』『リスト・オブ・セブン』『狂気の山脈にて』をはじめとする未完の傑作――もしかしたら、世界が今後楽しむことはないのかもしれないが――に関してもそうだ。それらがいまだ映画化されない現実は非常に嘆かわしいものの、私は知っている。ギレルモ・デル・トロなら、壁にろうそくと手の動きで怪物の影絵を映し出すように楽々と、はっとするような美しさと現実離れした恐怖を有する幻影を出現させてくれることを――。誰も彼を止められはしない。アイデアがぐるぐると渦巻く心の中に手を突っ込むなり、あっという間に絵と物語のかけらを掴み取る。その素早さたるや、すれ違い様に声を上げる隙すら与えない。
 この本で、あなたはその目まぐるしいアイデアの渦を垣間見せられ、アーティスト、ギレルモに圧倒されるだろう。だが、彼のアートだけでギレルモ・デル・トロの人柄を十分に理解することができるだろうか。生み出す芸術作品は素晴らしくても、作者本人にはがっかりさせられるのではないかと疑う人がいても不思議ではない。そこで、彼の人間性についてあらかじめひと言述べておこう。ギレルモの場合、素晴らしい作品たちからかけ離れているものは何もない。
 彼は私の友人で、私はこの二十年来の親交を誇りに思っている。ギレルモとは、彼が監督デビュー作『クロノス』を引っさげて初渡米したときに出会っにた。その映画は、メキシコ、グアダラハラの父親のクレジットカードを使って作られたという。私は、たちまちギレルモの作品のクオリティ(私の処女作よりもはるかに優れていた)に魅せられたのだが、感銘を受けたのはそれだけではない。彼の人生、芸術に対する貪欲さ、文学からコミックに至るまであらゆるものの中の美とグロテスクさを求める情熱が非常に印象的だった。懐が大きく、他人を魅了してやまず、ときに世俗的で、とにかく誠実――それがギレルモの人柄だ。
 ギレルモのキャリアが滑り出したとき、私はハリウッドの大海原を突き進んでいく彼の姿を見た。ホラーと言えばエイリアンだった当時、彼は独自の古風なラテンホラーをアメリカの映画業界に適用させようとしていたが、それは魚に微積分学を教えるくらい難解で、フラストレーションは溜まる一方だったはずだ。しかし、彼は己のルール、ヴィジョン、そしてとりわけ友人たちに忠実であり続けた。映画産業はもちろん、いかなる業種の人間に対してもあれだけの律義さを示せるのは、実に稀なことだ。
 私が自身の作品にギレルモの率直で新鮮な視点を必要としたとき、彼はいつでも協力してくれたし、逆の立場でも、私は喜んで駆けつけた。とはいえ、彼の場合、私のアドバイスそのものが要るというより、自分の考えを理解する人間が近くにいるという事実を確かめたかったということが多い。
 ギレルモは私をスペイン語で「リトル・ジェームズ」の意の「ハイミート(Jaimito)」と呼び、私は彼の隣でちっぽけな存在だったりする。家にお邪魔したあるとき、ギレルモが私に挑んできたことがあった。”スラムマン”と呼ばれるボクシング練習用のダミー人形が置かれていたのだが、それを力任せにパンチしてみろと言うのだ。私は渾身の力で拳を打ち込み手首が折れたかと思うほどだったが、ダミー人形は15センチしか動かなかった。「幼稚園児並みのパンチだな!」とギレルモは言い放ち、次の瞬間、一撃でその人形を部屋の反対側まで飛ばしてみせた。「雄牛」を意味する”デル・トロ”の名前に負けず劣らず、まさに野生児といった彼だが、あのがっちりした手が、精巧で繊細なスケッチや華麗な極小の文字を描き出すとは、実に驚くべきことだ。
 誠実な友、真面目な夫、愛すべき父親としてのギレルモを私は知っているし、これまで出会った中で、最も独創的な男だと思う。彼の才能は変幻自在で、その倫理基準は何事にも揺るがず、ユーモアのセンスも抜群だ。彼の物作りへの情熱は他人にインスピレーションを与え、仕事への意欲は、つい怠けがちな我々に対する挑戦状のようでもある。
 もし、ギレルモ・デル・トロが存在してなかったらなら、我々は彼を創り出さねばならないだろう。しかし、奇跡のような人間をどうやって生み出せと? 我々はその術をまだ知らない――。

デル・トロ監督と言えば、Netflixで独占配信予定のストップモーション・アニメ映画「ピノキオ/Pinocchio(原題)」も気になるところ!今後の活躍が楽しみです!

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